啜り泣くオレに猫面の兄ちゃんが「ええと」と話し掛ける。
「どうしたら泣き止んでくれるかな?」
「………」
「困ったなぁ」
「……ったい」
「………?」
「一楽…、行きたい」
「え?」
「一楽、行きたい!」
「はぁ?」
連れてってくんなきゃ嫌だってば!と叫んだオレはたぶん久方ぶりに我儘を言った。
「君ねぇ…。少しは遠慮ってものを知らないのかい?」
はぐはぐとラーメンを頬張るオレに猫面の兄ちゃんは呆れているみたいだったが、オレはそんな兄ちゃんのことをまったく無視して目の前の味噌ラーメンにだけ集中した。
「よくあんな目にあったあとでそんな濃ゆいもの食えるね……」
「ん?なんか言ったってば猫面の兄ちゃん?」
「……いや、なんでもない。――たくさん食べなさい」
「おう!」
一楽のおっちゃんは、ボロボロの服で怪しい格好の兄ちゃんと登場したオレに少し驚いたみたいだったけど、何も言わずいつもの通りラーメンを出してくれた。
「へへへー、さんきゅってば。猫面の兄ちゃん!!」
「いったいその小さい体のどこにあれだけの量が入るんだか…」
積まれたドンブリを横目に猫面の兄ちゃんはしぶしぶお財布を出している。〝あんぶ〟ってこんなふうに人前に出ていいものかな。てっきり断られるかと思ったのに一楽に連れてきてくれるし、オレが食べ終わるまで黙って一緒にいてくれたし、奢ってくれるし、謎の兄ちゃんだってばよ。
「なんだい、僕の顔に何か付いてるかい?」
「う、うぇ。…あっ、お面が付いてるってば!」
にぱ!と言い放ったオレに猫面の兄ちゃんがガックリ肩を落とした。
「………。……子供ってのはなんでこう。ああもう謎、やっぱり苦手だ…。僕には根本的にこういう役は向いてないんだよ。まったくカカシ先輩は普段どうやって接してるんだ?」
ぶつぶつ呟きだした猫面の兄ちゃんにオレはどれだけ「カカシ先生は普段遅刻ばっかだし、サボってばっかだし、オレと二人の時はエッチなことしかしないってばよ」と言ってやろうかと思ったけど、やめてやった。ただ真面目な感じに悩む兄ちゃんの様子がおかしくてオレはシシシと笑った。なんだかカカシ先生と全然違うタイプの大人だってばよ!
一楽を出て、「家まで帰れるかい?」とまた尋ねてくれた兄ちゃんにオレは頷こうとしたけど。
「?」
なんだろう、おなかがいっぱいなのに。なんだか気持ち悪い…。
「なんか…オレ、変」
「なにがだい?」
猫面の兄ちゃんが怪訝そうに尋ねる。オレは自分の腹を抑えて首を捻る。
「ああ、胃もたれでも起こしたのかな。無理もない。あんなに食べたら誰でも気持ち悪くなるよ」
もごもごと口を動かしているオレを見ていた猫面の兄ちゃんは、呆れたようにため息を吐いた。
「たしか飴がポケットに…。口直しになるといいんだけど…」
包装を剥かれる音がして、ふいに真ん丸い碧玉が目に映る。
「あ…」
「ほら、食べてごらん?」
何かを言う間もなく、猫面の兄ちゃんの指から開いたままになっていた、オレの口の中に丸い物体が入る。
「………!!」
飴玉の味が口の中に広がった瞬間、ざわりと躯の奥が疼いた。いい子だねナルト…。耳元でカカシ先生の声が聞こえたような気がして、オレの身体を滑るカカシ先生の体温の低い手とか、欲に溺れているのにどこか冷めている視線とか、普段はかかないカカシ先生の汗の匂いとか、オレの中に先生のが入る…瞬間とか、次から次へと思い出して、オレの心臓が脈打つ。
でも、今カカシ先生はここにいなくて。そんな現実とは裏腹に今この時もオレの身体は浅ましくカカシ先生のことを思い出していて。ボロボロと大粒の涙が溢れた。
あの男たちに圧し掛かられた時、オレはいったい何を期待してたんだろ。カカシ先生はあの女の人と一緒にいるんだからオレなんかのとこに来てくれるはずがないって、わかっていたのに。
「っっっ!!ご、ごめ…んよっ?――ソーダ味はキライだったかいっ?」
「ちがっ……そうじゃな…っ」
セックスのたびに、貰う飴玉。あの飴玉の味が欲しいとオレの身体が言っていた。まるで依存症のようにオレの中に沈殿するカカシ先生の味。オタオタとする猫面の兄ちゃんになんでもないからと言いたかったけど、オレの涙腺は壊れちゃったみたいに涙を流し続けた。
「…っこれじゃね…もんっ。もっと」
カカシ先生のくれる飴はもっと甘くて、もっと熱さを伴っていて。カカシせんせぇ、せんせぇとバカみたいに繰り返して、涙が頬を伝った。オレはこれからこの甘い固体を食べるたびに、カカシ先生を思い出し、カカシ先生を求め、この疼きに悩まされなければいけないのだろうか。例えそこにカカシ先生がいなくても。ああ、それは哀しい呪縛だってば。なんてズルくて狡猾で残忍なことをするのか。それは麻薬にも似ていて。
「か、しせんせぇ……」
「ちょ、わわわ」
空からぽつぽつと降り始めた雨。慌てた兄ちゃんの声が聞こえて、気が付けば世界が傾いていた。
******
カカシ先生と付き合い始めてしばらくたった頃、オレはカカシ先生の家に行った。だけどカカシ先生の家から女の人の甲高い喘ぎ声が聞こえてきて、…オレってば黙って先生の家の玄関の前に座り込むしかなかった。
ソバージュにど派手な格好の姉ちゃんが出て行った後、オレはカカシ先生の家のドアをノックした。カカシ先生は笑顔でオレを迎えてくれた。
「……カカシせんせー、オレのこと好きィ?」
「ん?もちろんだよ、ナルト」
「ほんと?」
「ほんとだよ。ほら、いいから足開いて?」
カカシ先生の、嘘吐き。
******
「んあ……」
「気が付いたかい?」
シトシトと雨の降る音と共にオレは目を覚ました。見慣れた間取り、家具、そこは自分の部屋だった。オレのものじゃない砂色のマントみたいなものが自分に掛けられていて、「あ、なんで…」ふらつく頭を押さえてベットから起き上がると、猫面の兄ちゃんが肩を抑えてくれた。なぜオレの家を知っているのかと尋ねる間もなく「まぁ、きみは特別な子だからね」と答えたが返ってきた。そうか九尾の…監視。納得したオレはまたベッドに沈む。
「送ってくれてありがとってば」
「別に僕は…。大したことしていないよ」
「でも、嬉しかったてば」
仕事の一貫だよと言い切られる前に言葉を紡ぐ。
「ありがとってば」
「――こほんッ。今日は暖かくして寝るように。いいかい?大人しくベッドで寝てるんだよ。僕はもうそろそろ行かないといけないから」
「兄ちゃんってお世話焼き…」
照れたようにそっぽを向く兄ちゃんがおかしくて、ついついからかってしまいそうになるのを抑えてオレは布団を顎の辺りまで引き寄せて笑った。
「またどこかで会えるといいってばね?」
にっこり笑って言えば、猫面の兄ちゃんは少し困ったように腕を組んだんだってば。
「残念だけど無理かな…、僕は暗部だから」
きみにはもう会えないよ。
「あんぶ…」
「本当はきみの前に現れるのも規則違反ギリギリだからね」
音もなく兄ちゃんが窓際に向かう。気配が薄くなり始めて、
「それじゃ僕はこれで。――僕のことは忘れたほうがいいよ」
「ねえ、猫面の兄ちゃん」
窓に足を掛けた兄ちゃんを呼び止める。
「なんだい?」
「でもオレはまた兄ちゃんと一緒にラーメン食べに行きたいってば」
兄ちゃんの動きがぴくりと止まる。
「……きみは不思議な子だね」
「へへ…?そうかなっ?」
猫面の兄ちゃんは照れて笑うオレを少しだけ黙って見て、口を開いた。
「……1つ、きみに言っておきたいことがあるんだけど」
「なんだってば?」
「僕は前からカカシ先輩のことを知ってるからけど、あの人は、カカシ先輩は誰のものにもならないよ」
「え……?」
「寄り添っても相手が氷だときみも冷たくなるだけ。しかもあの人は狂気を孕んだ氷だから、きみのように温かくて優しい子は、もっと別の人と幸せになった方が良い」
オレは黙って猫面の兄ちゃんの言葉を聞いた。
「……オレなんかにカカシ先生がつりあわないって事だってば?」
「…つりあわないとかの問題ではないんだよ。とにかくこれは僕からの忠告だよ。きみのためにもカカシ先輩とは早いうちに離れたほうがいい」
「………」
兄ちゃんがいなくなるとオレは浴室へ向かった。シャワーを浴びながら、カカシ先生の精液を掻き出した。やっぱり、自分の指では上手くできないってばよ。最初の頃なんか怖くて指を中に入れることもできなかったっけ?後処理は男同士のセックスではどうしても必要なことだけどさ。カカシ先生が帰ったあとに1人で精液を出していると、なんでだろう。たまに無性に泣きたくなった。オレにはそれがどういった感情なのかわからなかったけど。今は、今は――。
「カカシせんせ、今頃なにしてんのかなァ」
水音と共に排水溝に白い液体が流れていく。この時、オレの中で何かがごとりと動いたような気がした。