「それじゃあ、買い物に出掛けてくるってばよ!」
ベッドの上で本を読書をしていたオレは、青年の薄っぺらな後姿(ナルトは痩せ形らしく、まさしくぺらぺらの板のようだ)を見送る。
一体、買い物の途中で何をしていたら、あれほど時間が掛かるのか、確かめようと、思い立ったのは、気まぐれだった。もし、余計なことをしているようだったら、どうなるか、たっぷり身体でわからせてやろう。そう思うだけで、笑いが込み上げてきた。
電信柱の上を飛躍して行くと、商店街が見えてくる。ナルトの気配は労せずとも、すぐに発見することが出来た。
170センチには届かない、男にしては小ぶりな背丈。細い骨格。何より、暗雲の中でもひときわ目立つ金糸が、道の真ん中をひょこひょこと歩いている。そして、オレはあまりのことに目を見開くことになるのだ。
「化け物」
道の真ん中で金髪の青年が罵られていた。ざわざわとざわめく雑踏。鋤や鍬を持った里人たち金髪の青年を今にも突きそうな勢いで、遠巻きに囲んでいる。
なんだ、この光景は。逆らうわけでもなく、青年は罵倒や投石で満ちた悪夢のような道の真ん中を歩いている。
雑踏の中を飛び出した一人の男が青年に向かって投石をする。拳大ほどある大きさの石が、青年の額に当たった。
「―――っ」
声を上げるでもなく、ナルトは道の真ん中を歩き出す。髪に付いた泥を払い落すと、まるで何事もなかったかのようだ。
「化け物」
また、罵倒が上がる。それからはまるで、化け物、化け物、と絶え間ないコール音が青年を中心に巻き起こる。続く、投石。罵倒。冷たい視線。どうして抵抗しない。
いくら鈍臭いと言っても、仮にも上忍である忍が一般人の攻撃を避けられないとは思えない。ならば、考えられる答えは一つだけで、ナルトは、わざと、避けようとしないのだ。
どうしてだ、と湧き上がる疑問に、戸惑いを隠せない。また、石が投げられる。ナルトは避けようとしない。自然と体が動いていた。
「目障りだ、散れ」
電信柱から、地表に降り立つ。思っていたより冷たい声が出た。オレが一睨みすると、集まっていた住民たちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。馬鹿らしい。無駄に群れ、一匹では吠えることも出来ない生物をオレは憎んでいる。
ナルトが、ぽかんとした顔でオレのことを見ている。なんだ。おまえはともかくオレの顔には別に何もついてやしないでしょ。オレは、ナルトの髪についた泥を見咎めて、顔を顰める。キラキラとした金髪が台無しで、イライラした。
「おまえはオレのオモチャでしょ?」
不思議そうな顔でナルトがオレのことを見上げている。
「―――帰るよ」
そのままオレは雑踏の中から金髪の青年を連れ出した。
「顔をこっちに向けなさい」
命令すると、相変わらず胡乱気な瞳が向けられる。心底不思議そうな顔にムカついて、オレはナルトを自分の懐に引き寄せた。
「あ、あのっ。カカシ先生っ?」
「手当てぐらいしないと化膿するだろ」
「…あっ。ありがとうってば」
「別に。自分の所有物に傷を付けられるのが我慢ならないだけだからさ?」
そこまで言ってなんだか自分のあり方に嫌気が差した。ナルトとて人間なのだ。こんな扱いをするオレに嫌悪感を抱いて当たり前だ。それも、まだ年端もいかない子供ならともかくもうすぐ成人しようという年齢の青年なら尚更だろう。
「カカシ先生?」
「おまえもよくこんな最低な男に従っているな」
オレの独り言めいた呟きを拾ったのか、ナルトが目を見開いて、オレを見詰める。大きな瞳が真っ直ぐにオレを射抜いた。ナルトの手が躊躇いがちにオレの忍服を引っ張る。
「オレ、カカシ先生が好きだから…」
ナルトの瞳が潤む。好いた男というだけで、そこまで出来るものなのか。青年の思考回路が不可思議で仕方がない。オレが尋ねると、青年が恥ずかしそうに俯いた。
「カカシ先生はオレがひとりぼっちの時、いつも支えてくれた。オレ、死にたいって思ったことないよ。でも、生きるのがすげぇ辛いなって思ってたことはいっぱいある。頑張っても、報われなくって、挫折しそうになったこと、たくさんあった。どうしてオレってばドべなのかなとか、どんなに頑張っても、運命は変えられないのかなとか、一人きりで空を見上げる時、悲しくて切なかった」
生まれ持った宿命。九尾の器であるという人生。孤独。それはどれほどのものだったのか、常人でしかないオレには想像することもできない。
「でも、いつだってカカシ先生が、オレのこと見ていてくれた。ガキの頃のオレを救ってくれたのは、確かにカカシ先生だから。ただ、先生が後ろから見守ってくれるだけで、どうしてかな、勇気が沸いて、明日も頑張ろうって思えたんだ」
オレが?オレがそんな存在と成り得たと言うのだろうか。記憶にない、教師としての自分。
「誰も見てくれなかったオレの背中を押してくれたのが、カカシ先生だから。おまえなら大丈夫だって、笑いかけてくれたから、だからオレ、明日はいい日かもしれないって、思うことが出来た。全部、カカシ先生のおかげ」
ナルトと触れ合っている手のひら、その部分がきゅうきゅうと収縮するように痛い。
任務で負傷した痛さでもなく、自分が傷ついた時に感じる痛みでもない。
誰かを思って、収縮する心の痛み。
「優しくしてくれたこと、頭を撫でてくれたこと、愛情を与えてくれたこと、全部、全部、先生がオレにシテくれたことが、嬉しい。だから、オレはそんなカカシ先生のこと、嫌いになるはずがないんだってば」
「………」
「さっきは助けてくれてありがとうってば。カカシ先生が来てくれて助かったってば」
笑ったナルトの笑顔があまりに綺麗だったから、震える気持ちを抑えながらオレは訊ねた。
「どうして抵抗の一つもしない。あんな一方的な暴力おかしいでしょ。理不尽だって、思ったことないの?」
罵倒から始まる投石、冷たい視線。過度な迫害。忍であるこの子なら、簡単に彼等を圧倒することが出来るはずなのに。オレの手のひらの中に収まっているのは、消毒が必要な擦り傷だらけの手。
「あのさオレ…」
ナルトの傷を消毒するため、脱脂綿を持ったままのオレにナルトが微笑みかける。
「里の人のことを憎めない。だってさ、オレに石を投げるたびに、里の人は苦しそうな顔なんだもん。オレってば、オレ以上に傷ついている人たちを、怒ることなんてできないってば」
「……っ。おまえは…!」
「……っせんせ?」
「おまえはどこまでお人好しなんだ!」
ナルトが驚いたように、目をぱちくりさせている。本当に不思議で仕方ない、と言った顔だ。
「おまえはなにも悪くなどないのに!」
気が付いたら、涙が頬を伝っていた。だって、ナルトが里人以上に傷つかないなんて、嘘だ。そんなことありえない。だから、オレは何度も嗚咽して首を被り振る。
「おまえは…きゅ、びなんかじゃない…」
綺麗だった。オレが今まで生きてきて会った人間の中で一番綺麗な存在だと思った。
奇跡みたいで。信じられなくて。だから、憎しみを向けることで誤魔化そうとした。本当は、惹かれていたくせに、自分の中に生まれた思いが眩しすぎて怖かった。好きになりそうな自分に怯えたから、攻撃した。
「おまえはっ、何も悪くない」
九尾だからと言い、器であるこの子に憎しみを向けること事態間違っている。むしろ九尾を封印したこの子はこの里の英雄であったはずだ。それを恐れ、怨み、憎むことこそ、愚かなことなのだ。
「カカシせんせぇ?」
舌足らずな、ナルトの心配そうな声。
「なる…っ」
名前を呼ぼうとして、胸が一杯になった。やっと理解した。長い、長い、夢から覚めた気分だった。