空気猫
空気猫
路地裏のきみに恋をした
そう初めは同情だったのかも知れない。愛を受けない子供が可哀相だとそんな事を思っていた。だけど優しく頭を撫ぜれば戸惑ったように自分を見上げはにかむ姿が、酷く印象に残ったのも事実。
監視を初めて1週間。うずまきナルトは相変わらず元気だ。火影さまから直々にうずまきナルトの監視を命じられたカカシだが、毎日同じ事ばかりが繰り返される単調な任務に、正直、退屈で退屈で仕方がなかった。
そりゃ、カップラーメンを食べる姿や、ベッドで丸くなって眠る姿を、かわいいな、と思う事もあったが、所詮は任務、あくまで監視とその対象者という範疇を超えてはいなかった。
四代目の遺産。少なからずとも自分と縁がある子供。だけど、それだけの存在だった。目に映る金色はカカシの古い記憶を擽るが、特別には程遠い、と思っていた。
今日も、木の葉商店街を駆ける子供。手に握られているスーパーの袋を視認すればお決まりの内容。また、カップラーメン? 身体に悪いなぁと思いながらも、カカシはナルトに気付かれない位置で監視対象者を観察する事に専念していた。
しかし、屋根の上で頬杖を付き猫背気味の姿勢でしゃがみ込んでいると、監視を始めて7日目にして僅かな異変が起きた。子供がガラの悪そうな若者に囲まれて路地裏に引っ張り込まれて行ったのだ。
「あらら」
そして始まる暴力。男たちは、ナルトの事を、サンドバックか何かのように思っているのだろうか。ひと気のない路地裏で、際限のない暴行が始まった。
「おら、泣けよ。おまえ、運良く忍になったからっていい気になるなよ」
「どんな奥の手使って忍になったんだよ」
容赦なく小さな身体に叩き込まれる仕打ちに胸が悪くなるが、監視をしている身で出て行く事は出来ない。
「ははっ。忍者になったからって大して強くなってねえじゃん!」
「狐は大人しく人間さまの靴底でも舐めてればいいんだよ。なっ?」
(あんなに蹴って内臓に傷がついたらどうするんだ…)
あの子も下忍だ。簡単な受身くらいは出来るだろうが、それにしてもやられっぱなしというのは頂けない。
何より、九尾来襲から12年、子供相手にバカな輩が耐えないものだなと呆れてしまう。カカシとて大切なもの、大切な人を失った。だが憎しみがあるかと問われれば答えは否。あるのはただ未熟だった自分への後悔の念だけで、それを器でしかないあの子に向けようとは思わない。
(…傷薬は家にないだろうなぁ)
ナルトが傷の手当をしている所はついぞ見たことがない。おそらく常人にはない回復力のせいで、怪我を治療するという観念が薄いのだろう。
カカシはため息を吐くとポーチからマキビシを出して、男たちに投げてやった。
「イテ。なんだぁ」
「空から変なもんが降ってくるぞ」
男たちが頭を押さえながら空を見上げた。雨のように降って来るマキビシ。
「イテテ…。くそ、なんなんだっ」
「鉄の棘だ。狐の祟りかっ?」
やがて、馬鹿な妄想をして男たちが逃げていく。
あとに残ったのはボロ雑巾のようになって地面に転がっているナルト。
気を失っているのかそれとも。
(……泣いてるのか?)
あの年の子供が、いくら下忍だとはいえ、こんなにも酷い暴力を受けたのだから、当たり前だ。
偶然を装って出て行こうかと、職務規定ギリギリの行為に及ぼうとした時、子供が起き上がった。汚れた泥をほろい、無残に散らばった食料品を拾い集めている。大半の食料は潰れてしまって、駄目になっていたが、インスタント物は無事だったようで、手馴れた様子で食料品を買い物袋に入れる姿にカカシの心臓がわけもなくつきりと痛んだ。
給水塔の上からつい身を乗り出してナルトの様子を伺っていたカカシだが、次の瞬間、己が隠れている方角に向かって上げられた瞳に驚く。
カカシの視線を感じたのか、はたまた偶然か、ナルトはきょろきょろと辺りを見回している。
(ふーっ、危ない危ない。下忍に見つかっちゃうなんて笑えないデショ)
給水塔の背後に張り付いてカカシはそっとため息を吐く。
やがてひと気がないと判断したナルトはテクテク元の一般道へと戻っていった。何事もなかったかのように去っていく背中。それほど、里人から受ける暴行はあの子供にとっては日常なのだろう。
だけどカカシはいつまでも金色の少年から目が離せなくて、何故か跡を追ってしまう。
いや、監視をしている自分があの子を見ている事は普通で、まったく何も問題ないことのはずなのだが。
去り際にもう一度、子供の瞳がきょろりと給水塔の上に向けられる。
(……うわ、綺麗)
そして血で滲んだ唇が何事かを模る。カカシは無意識でその唇を読んだ。〝オレってばぜってー負けねぇもんね〟?
オレの存在に気付いていたのか?いや、違う。あれは虚空に呟かれた独り言なのだろう。誰も聞いている者など居ないとわかった上での強がりな発言。
「あー……。なんかヤバいかも」
さすが先生の子供。オレのツボをピンポイントでついてくるわ。はたけカカシ、給水塔の上でひとり悶絶。今日、子供に落とされた大人が一人。
「くじけないんだね、おまえは」
カシカシとカカシが銀糸の髪を掻き回す。思い入れはあった。だけどそれまでだと思っていた。あの子は確かに先生の子供だが、それを理由に特別扱いなんてしないつもりだったのに。
だけどあの目は反則だろう。自分は昔から真っ直ぐな瞳に弱いのだ。自覚症状はある。何しろカカシの師こそ、その典型のような人物だったのだから。あの手の天然系人種相手だと逃れる術はないのが困ったところ。
―――火影を超える…、か。
自己紹介の時に言い放たれた言葉。確かにカカシの胸を打ったことは確か。もしかしたらあの子なら。
「ヤラレタ。ほんと、まさかここまでとはねぇ」
期待を裏切らない、いやそれ以上の面白い成長してくれちゃって。くくくと背中を丸めて笑うカカシは宝物を見つけた子供のようで。どこか嬉しそうに、そして何かを思い出すようにくしゃりと表情を緩めた。
その日から、カップラーメンを食べる姿や、ベッドで丸くなって眠る姿が、格別かわいく思えて、あまつさえコップを両手で掴んで牛乳を飲む姿に、「そんなに一気に飲んだら咽てしまわないか」なんて、ちっともする必要のない心配までしてしまうようになった。
もちろん、それ以来ナルトを暴行する輩は、はたけカカシの名を持って容赦のない制裁が下されるようになり、ナルトが以前のように怪我を負う回数は格段に減った。
カカシが隠れていた給水塔を見上げた、意思の強そうな瞳。射抜かれたのは、はたけカカシの心臓。そんな恋の始まりの瞬間。はたけカカシ、己の初恋の自覚まで秒読み段階。
そう初めは同情だったのかも知れない。愛を受けない子供が可哀相だとそんな事を思っていた。だけど優しく頭を撫ぜれば戸惑ったように自分を見上げはにかむ姿が、酷く印象に残ったのも事実。
監視を初めて1週間。うずまきナルトは相変わらず元気だ。火影さまから直々にうずまきナルトの監視を命じられたカカシだが、毎日同じ事ばかりが繰り返される単調な任務に、正直、退屈で退屈で仕方がなかった。
そりゃ、カップラーメンを食べる姿や、ベッドで丸くなって眠る姿を、かわいいな、と思う事もあったが、所詮は任務、あくまで監視とその対象者という範疇を超えてはいなかった。
四代目の遺産。少なからずとも自分と縁がある子供。だけど、それだけの存在だった。目に映る金色はカカシの古い記憶を擽るが、特別には程遠い、と思っていた。
今日も、木の葉商店街を駆ける子供。手に握られているスーパーの袋を視認すればお決まりの内容。また、カップラーメン? 身体に悪いなぁと思いながらも、カカシはナルトに気付かれない位置で監視対象者を観察する事に専念していた。
しかし、屋根の上で頬杖を付き猫背気味の姿勢でしゃがみ込んでいると、監視を始めて7日目にして僅かな異変が起きた。子供がガラの悪そうな若者に囲まれて路地裏に引っ張り込まれて行ったのだ。
「あらら」
そして始まる暴力。男たちは、ナルトの事を、サンドバックか何かのように思っているのだろうか。ひと気のない路地裏で、際限のない暴行が始まった。
「おら、泣けよ。おまえ、運良く忍になったからっていい気になるなよ」
「どんな奥の手使って忍になったんだよ」
容赦なく小さな身体に叩き込まれる仕打ちに胸が悪くなるが、監視をしている身で出て行く事は出来ない。
「ははっ。忍者になったからって大して強くなってねえじゃん!」
「狐は大人しく人間さまの靴底でも舐めてればいいんだよ。なっ?」
(あんなに蹴って内臓に傷がついたらどうするんだ…)
あの子も下忍だ。簡単な受身くらいは出来るだろうが、それにしてもやられっぱなしというのは頂けない。
何より、九尾来襲から12年、子供相手にバカな輩が耐えないものだなと呆れてしまう。カカシとて大切なもの、大切な人を失った。だが憎しみがあるかと問われれば答えは否。あるのはただ未熟だった自分への後悔の念だけで、それを器でしかないあの子に向けようとは思わない。
(…傷薬は家にないだろうなぁ)
ナルトが傷の手当をしている所はついぞ見たことがない。おそらく常人にはない回復力のせいで、怪我を治療するという観念が薄いのだろう。
カカシはため息を吐くとポーチからマキビシを出して、男たちに投げてやった。
「イテ。なんだぁ」
「空から変なもんが降ってくるぞ」
男たちが頭を押さえながら空を見上げた。雨のように降って来るマキビシ。
「イテテ…。くそ、なんなんだっ」
「鉄の棘だ。狐の祟りかっ?」
やがて、馬鹿な妄想をして男たちが逃げていく。
あとに残ったのはボロ雑巾のようになって地面に転がっているナルト。
気を失っているのかそれとも。
(……泣いてるのか?)
あの年の子供が、いくら下忍だとはいえ、こんなにも酷い暴力を受けたのだから、当たり前だ。
偶然を装って出て行こうかと、職務規定ギリギリの行為に及ぼうとした時、子供が起き上がった。汚れた泥をほろい、無残に散らばった食料品を拾い集めている。大半の食料は潰れてしまって、駄目になっていたが、インスタント物は無事だったようで、手馴れた様子で食料品を買い物袋に入れる姿にカカシの心臓がわけもなくつきりと痛んだ。
給水塔の上からつい身を乗り出してナルトの様子を伺っていたカカシだが、次の瞬間、己が隠れている方角に向かって上げられた瞳に驚く。
カカシの視線を感じたのか、はたまた偶然か、ナルトはきょろきょろと辺りを見回している。
(ふーっ、危ない危ない。下忍に見つかっちゃうなんて笑えないデショ)
給水塔の背後に張り付いてカカシはそっとため息を吐く。
やがてひと気がないと判断したナルトはテクテク元の一般道へと戻っていった。何事もなかったかのように去っていく背中。それほど、里人から受ける暴行はあの子供にとっては日常なのだろう。
だけどカカシはいつまでも金色の少年から目が離せなくて、何故か跡を追ってしまう。
いや、監視をしている自分があの子を見ている事は普通で、まったく何も問題ないことのはずなのだが。
去り際にもう一度、子供の瞳がきょろりと給水塔の上に向けられる。
(……うわ、綺麗)
そして血で滲んだ唇が何事かを模る。カカシは無意識でその唇を読んだ。〝オレってばぜってー負けねぇもんね〟?
オレの存在に気付いていたのか?いや、違う。あれは虚空に呟かれた独り言なのだろう。誰も聞いている者など居ないとわかった上での強がりな発言。
「あー……。なんかヤバいかも」
さすが先生の子供。オレのツボをピンポイントでついてくるわ。はたけカカシ、給水塔の上でひとり悶絶。今日、子供に落とされた大人が一人。
「くじけないんだね、おまえは」
カシカシとカカシが銀糸の髪を掻き回す。思い入れはあった。だけどそれまでだと思っていた。あの子は確かに先生の子供だが、それを理由に特別扱いなんてしないつもりだったのに。
だけどあの目は反則だろう。自分は昔から真っ直ぐな瞳に弱いのだ。自覚症状はある。何しろカカシの師こそ、その典型のような人物だったのだから。あの手の天然系人種相手だと逃れる術はないのが困ったところ。
―――火影を超える…、か。
自己紹介の時に言い放たれた言葉。確かにカカシの胸を打ったことは確か。もしかしたらあの子なら。
「ヤラレタ。ほんと、まさかここまでとはねぇ」
期待を裏切らない、いやそれ以上の面白い成長してくれちゃって。くくくと背中を丸めて笑うカカシは宝物を見つけた子供のようで。どこか嬉しそうに、そして何かを思い出すようにくしゃりと表情を緩めた。
その日から、カップラーメンを食べる姿や、ベッドで丸くなって眠る姿が、格別かわいく思えて、あまつさえコップを両手で掴んで牛乳を飲む姿に、「そんなに一気に飲んだら咽てしまわないか」なんて、ちっともする必要のない心配までしてしまうようになった。
もちろん、それ以来ナルトを暴行する輩は、はたけカカシの名を持って容赦のない制裁が下されるようになり、ナルトが以前のように怪我を負う回数は格段に減った。
カカシが隠れていた給水塔を見上げた、意思の強そうな瞳。射抜かれたのは、はたけカカシの心臓。そんな恋の始まりの瞬間。はたけカカシ、己の初恋の自覚まで秒読み段階。
インスタントラーメンな小ネタです。
すいかのなみだ
カカシ先生がスイカを持ってきた。真ん丸くて、手で叩くといい音がする。
「オレってばスイカ大好き!」
「そう。そりゃ良かった」
カカシ先生はああ見えて結構不器用なので、オレがスイカを切る。忍具の手入れとかは上手なのに、おっかしいの。ちなみにオレが今使っている包丁はこの間カカシ先生が研いでくれたので凄く切れ味がいい。
「手ぇ、切るなよ」
「任せとけってばよ!」
心配だなー、とカカシ先生がオレの腰に後ろから手を回して密着して来るけどそっちの方が危ねぇって。オレってばまだちっちゃいから台を使わなきゃキッチンに立てないんだけど、そうやって料理をしているとよくカカシ先生がやってくる。カカシ先生曰く、丁度良い高さなんだって。何が?って聞いても笑ってるだけで答えてくれなかったけどな!
「カカシ先生、動きにくいってばよ」
「いいじゃない。はぁ、落ち着く」
頭の上に顎をのっけられてゴリゴリされる。うー…頭蓋骨がズレるってば。それにそのまま喋られるとカカシ先生の声が骨に直接響いて変な感じ!
「切れたってば」
「おー、うまそうだねぇ」
三角に等分されたスイカをカカシ先生が肩越しに覗き込む。耳元で囁かれるとくすぐったい。カカシ先生の横顔は相変わらず格好良くてオレってば思わず見惚れちゃった。
「あーんだってばよ、カカシ先生?」
オレはスイカの真ん中の部分を手で取るとカカシ先生に差し出した。本当はお行儀が悪いから、こんなことしちゃいけないんだけどさ。
「カカシ先生、甘くておいしそうだってばよ?」
真っ赤な果肉は水分たっぷりで、きっとカカシ先生は店でも高いスイカを買って来てくれたんだろうなと思う。付き合い初めて気付いたことだけど、カカシ先生は値段に頓着しないで物をぽんぽん買う。上忍の財布恐るべし!なんだけど、オレとしては節約も覚えて欲しいってばよ。
オレの指にスイカの汁が滴ってぽたって床に落ちた。あーあ、と床を拭かなきゃって思っているとカカシ先生がオレに覆い被さって来た。
「うえ、カカシ先生!?」
オレってばキッチンの上で両手を掴まれて押し倒されてしまった。カカシ先生その写輪眼はなんだってば。なんで家の中で戦闘体勢なんだよ!!
「重いってば、どけーっ」
「天然」
ムキィとなって睨んでいると、カカシ先生の唇がオレに近付いて来た。うぎゃー。カカシ先生とちゅーしちゃったってばよぉ、でもなんで。ちゅ、ちゅって何回も角度を変えながらカカシ先生にキスされる。
「ふぇ。カカシせんせぇ……」
Тシャツを捲り上げられて先生のおっきな手でお腹と胸の周辺を触られる。あ、そこはだめだってばよ。カカシ先生ってばエッチィ。
「やめろって。もう」
首筋を食んでくるカカシ先生にオレってばもう弱々しい声しかでない。バカ、バカ、バカ。スイカ食べようって言ってたじゃん。それなのに、オレってば結局そのままカカシ先生においしく頂かれてしまった。
「ごめーんね、ナルト」
「………」
「機嫌直して。ほら、スイカだよー」
カカシ先生がスイカを差し出してくる。まだズキズキするオレのお尻の穴。せんせー、なんて知らないもんね。イーッでベーッなんだってばよ。
でも、スイカには罪はないから食べてやらないこともない。一口だけ。うん、一口だけな!
「おいし?」
「んー…」
カカシ先生が口元に出してくれたスイカにぱくんと齧りつく。ぽたぽたと水滴がオレの口を伝うと、カカシ先生が親指で拭ってくれる。
「子供扱いすんなってば」
「はい、はい」
「もっと、ちょーだいってば」
思っていた通りカカシ先生の買ってきたスイカはシャクシャクして旨い。差し出されたスイカを咀嚼してこくんと飲み下すことを繰り返していると、カカシ先生が床をばんばんと叩きだした。変なカカシ先生。
「カカシ先生も食べたい?」
「ん?機嫌直ったか」
「べっつにぃ」
オレは皿から真っ赤なスイカを取ってカカシ先生に食べさせてやった。オレの夏の午後は、こうしてカカシ先生と一緒に過ぎていく。
ずっと堪っていた涙。ざんざんぶりの雨のように、零れ落ちる滴。
やがて、泣いた子供の潤んだ瞳がカカシを映した。ああ、なんて綺麗な碧玉なのだろう。
泣いた子供の最初の第一声は…
「灰色ねずみの兄ちゃん、怪我してるってば?」
「え?」
見れば利き手である右手に血が滲んだ痕。どうやら先程、変質者の攻撃を避ける時に地面で擦ったらしい。
「あー…。このくらいなんともないよ?」
カカシの手を握り、視線を落としていたナルトの瞳からまた透明な滴が盛り上がってくる。
「ふぇ、ねずみぃ……」
「ナルト、なんでおまえが泣くの」
はらり、とナルトの頬を伝う涙。
「だって、ねずみ痛い、痛い。オレのせい…」
「だからそれは違うでしょ、ナルト」
ナルトはぶんぶんと首を振る。
「オレのせい。チビのこともそう。もっとオレがしっかりしていればチビもあんな痛いめに遭わなかった。オレが…寂しかったからあそこにチビを引き止めていたから。ちゃんとチビの新しい飼い主を探してやれば良かった」
ひっく、ひっくとしゃっくりを上げて、ぽろぽろ伝う涙を擦ってナルトが泣く。「ごめん。痛かったってば?チビぃ…っ」くしゃりと歪んだナルトの頬をカカシが包み込む。ナルトの頬は泣いたせいだろうか、いつもより温度が高くて、熱かった。
「ううん。おまえのせいじゃないよ、ナルト。あの仔犬だっておまえに拾われて幸せだったさ」
ナルトが不思議そうにカカシを見上げる。
「あの子の一生はそりゃ短かったかもしれない。だけどそれでおまえと過ごした時間がそれで消えるわけじゃないでしょ?生まれてきて、おまえと出会って、ご飯を貰って遊んで貰えて、名前を付けて貰えた。
オレはあの犬ではないから想像するしか出来ない。だけど、きっとあの子はおまえのことが大好きだったよ。最期の瞬間だって、あの仔犬は〝ああこの世に生まれてきて良かった〟って思ったよ。今もおまえがこうして泣いて、死を悼んでくれている。それだけでもあの仔犬は幸せだったよ」
おまえに出会えて良かったと思っているよ、と呟いて、ああこれは犬のことではなく自分のことを言っているのかもしれないとカカシは思った。
あの犬とオレは、同じ気持ちだった。どちらもナルトに救われたのだ。
「捨てられて消えるだけだった命を生かしたのは、おまえだよ。だからあの犬はナルトに感謝しているよ」
「本当にそう思うってば…?」
「そうだよ、オレもおまえと出会えたことに感謝しているから、こんな怪我全然平気なんだよ?」
「……でも、やっぱさ怪我するのは痛いってば」
「……」
カカシは口を噤む。
「オレってば二度と自分の大切なものはこんなめに遭わせたくない…」
ナルトはカカシの懐に飛び込む。
「だから今度はオレがねずみが怪我しないように守るっ…てば……!」
「ナルト…」
「ちゃんと守るから、ねずみのことを守るからっ、ねずみは安心してってばっ」
この状況下で己の心配よりも他人の心配をする子供。どうしてこれほどまでに強くあれるんだろう。己の首に巻き付けられた腕。子供の温かな体温。愛しさが溢れてどうしようもない。自分には絶対に無理だ。カカシがこうだなと思った予想の範疇を超える存在。
ああ、面白い。オレの想像しない意外なことばかりだおまえの在り姿は。
こいつと一緒に生きていけたら、予想外のことばかりに囲まれて、少しは「楽しい」「生きている」という気分を味合えるのだろうか。「はたけカカシ」という人間にはなんの価値がないが、この子と寄り添っていたら、すっからかんな自分の中にも中身が詰まることがあるだろうか。
カカシはこの時、予感した。おそらく自分はもうこの子から離れることは出来ないだろうと。なぜなら、この子がカカシの生きる意味になったから。
空っぽだったカカシの中を満たしたものは、うずまきナルトという存在。赤く染まった空に、どこかの空港から離陸した飛行機が飛んでいた。
「ナルト、よく聞いて?」
「………?」
生きてるのがつまらないとか、周りの人間が嫌いだとかしたドロドロした感情は、まだ相変わらずカカシの中で渦巻いている。色んな嫌悪感は残ったままだが、生きているのが少しはマシに思えてきた。ナルトがいるのならば、とカカシは微笑と共に付け加える。
「今からオレが言うことおまえはまだちっちゃいから忘れてしまうかもしれない。もしかしたらオレのこともね?」
「う……?」
「おまえは覚えてなくていいよ。オレが忘れやしないから。だからオレの誓いを聞いて?」
「誓い…?」
「その前に一つだけ確認。―――おまえはオレのこと好き?」
「うん、ねずみのことオレってばだいしゅき!」
「…そう。嬉しいよ、ナルト」
ぴょんぴょん跳ねるナルトの背を撫でて、カカシは微笑する。
「ナルト、オレはね。しばらく遠い国にいかなきゃならないんだ」
「……っ!?」
「だから、おまえとは今日でお別れなんだよ。ごめんね、もうちょっと早くに言えてたら良かったんだけど」
「どうして…?」
ナルトの目が真ん丸く見開かれ、わなわなと小さな身体が震え始める。
「さよならをしなきゃいけないんだ、ナル…」
「ねずみ、いっちゃやあっ!」
「ごめんね、ナルト…」
カカシは飛び付いて来たナルトの頭を抱える。
「オレは今、すごく弱いから、おまえの傍にいるとまだ小さいおまえに寄り掛かってしまうと思う。それじゃオレは本当にダメな人間になってしまうんだ、そうでしょ?―――それに…」
カカシはナルトの目尻に溜まった涙を唇で掬い取った。
「こういうコトもシタくなっちゃうからね…?」
「なんで。これ、〝大好きのちゅ〟だってば。ねずみ、オレのことキライになったの…!?」
ナルトがパニックになってカカシのパーカーの裾を引っ張る。
「違う。おまえのことをキライになったわけじゃないんだ。今のオレの好きはね、ナルト。おまえの好きより、ずっと大きくなっちゃったんだ」
「……オレもねずみと同じだけ〝しゅき〟だってばよ!?」
「違う。おまえの好きと、オレの好きは、全然違うよナルト。オレのはもっと汚くて、自分勝手な好きなんだ。―――オレは、おまえがまだ小さいのにおまえにいっぱい我儘なことをしてしまいそうで怖い…」
たくさん我慢しないといけないことがあるんだよ、だからね。
しばらくお別れ。
カカシはナルトに言った。
「ひどい…。ねずみ」
「ごめん」
ナルトの手の平を握ろうとしたカカシの手がぺちんと払われたが、カカシは追いかけるように、小さな手の平を掴まえて、ぎゅっと握り直す。
「……オレのこと、キライになっちゃった?」
「………っ」
自分でも残酷な仕打ちをしていると思う。一度、懐いた子供を突き放すようなこの別れ。とくにナルトにとってはこうやって離れていかれた経験が一度ではないのだ。
図らずも、カカシはナルトに傷を付けてしまった。ナルトと出会う前のカカシであれば、子供に重大な心の傷を負わせたことに、ほくそ笑んだことであろうが、―――今はただ胸が痛い。後悔と自責の念で一杯だ。
「ねじゅみが本当にオレのこと好きならオレのこと置いてくはずねぇもんっ」
「……ナルト。オレは、おまえのことが本当に好きだから少しだけバイバイしなきゃいけないんだよ」
「んなのわかんねぇ……っ」
ファンファンとパトカーの音。やっと警察が駆け付けて来たらしい。カカシがフードを深く被り直して立ち上がると、ナルトが縋るようにカカシを見上げた。
「もうオレはいかなきゃ」
「――――っ」
「約束だよ、ナルト。大きくなったらまた会おう。その時は、オレの全部をおまえに捧げるよ」
オレはこの小さな存在に救われた。この子以外、何もいらない。何も欲しがりませんから、どうか神さま。この子をオレにください。前に神なんかいるもんかと罰当たりなことを言ったことはあやまりますから。
柔らかい頬にキスをして真綿のような小さい身体を抱き締める。
甘い…。
「オレの全部を捧げるから、だからその代わり、おまえの全部をオレに頂戴」
ナルトが驚いたように目を見開く。意味なんてきっと理解していないだろうけど、今はそれでいい。
「……またね、ナルト。しばらく逢えなくなるけど、必ず迎えに行くから」
ふわりと温もりがすり抜けて、ナルトを置いてフードを被った青年が去って行く。
「ねずみ……?」
連れらたようにナルトの足が灰色ねずみの後姿を追おうとするが、一歩二歩歩いた所で、青年の歩幅に追い付けず転びそうになる。
「………」
ぺたんと、ナルトが地面に座り込んだ。アスファルトに、透明な滴が落ちた。
「ふぇ……」
はらはらと涙を零した子供。ただ最後に「魔法使いの住処だよ」と言葉と共に渡された紙切れ。ナルトにはまだ読めない細かくて角ばった文字。
ナルトはクシャリと紙切れを握り締める。
「ねずみ……」
夕暮れの空に呟いた言葉は熔けて消えた。
ナルトの涙の音が聞こえた。それに背を向けて、カカシはジーンズのポケットに入っているパスポートを取り出した。きぃん。またカカシの頭上で飛行機が通り過ぎた。
その後、はたけカカシは海外に留学した。紙ヒコーキを飛ばして決めた国に数年間滞在、帰国。同年、同じく帰国して大学院に進んでいた大学時代の後輩のヤマトのバイト先で金髪碧眼のあの子を発見するに至る。
確信犯で通い詰める。
夏のある日。カカシはアスファルトの道をゆっくりと歩いていた。気温30℃を越す暑い中、長袖にブラックカラーのパンツという太陽に喧嘩を売っているような格好で、目的の場所コンビニにへと到着する。
ぴこん、ぴこんと気の抜けた音と共に、冷房のよく効いた涼しい空気。商品整理をしている、ぴょこぴょこのひよこ頭が見えた。カカシは自然と唇を吊り上げる。
「なーると」
「あ、カカシ先生!」
にぱ!と笑った少年が、振り返って無邪気に近付いて来る。そこら辺の動作はちっさい頃から変わらないよねぇとカカシは苦笑する。
「やー、暑いねぇ。コンビニの中に入るとほっとするよ」
「それ、カカシ先生の服装で言われてもちっとも説得力がねぇってば」
「はははは」
「見てるほうが暑苦しいから夏っぽい服着ろってば。迷惑だってばよ?」
「おまえ、それ酷い…。落ち込むぞオレは」
ナルトの頭を掻き回していると「だからー、くしゃくしゃにすんなってば!」と、はにかみながらも笑顔が向けられる。
―――また会えたね。約束したでしょ?遅くなったけど、迎えに来たよ。
7年前のあの日。あの事件のあとすぐにナルトが三代目と呼ばれる老人に引き取られたことをカカシは風の噂で聞いた。事件の三日前にあの子の現状を大人や、その時たまたま店にいた老人に説明したのはカカシだった。父親である大人はショックを受けたような愕然とした顔でナルトの様子をカカシに訊ねた後、どこかに出掛けて行った。
彼がこっそりナルトの様子を見に行ったのかカカシは知らない。ただ海外に行くための飛行機のチケットとパスポートを取るためカカシは大人の跡を追うように店を出ただけで追求する事はなかった。
どういった経緯で話し合いが行われたかわからないが結局ナルトは三代目と呼ばれる老人が引き取ったらしい。あの家の主人はナルトを厄介者扱いをしていたようなので、交渉は簡単だったのだろう。
帰国して部屋も借り、落ち着いた頃。コンビニで働くナルトと再会した。カカシの膝までしかなかった身長は伸びて、だけど金髪碧眼のあの明るい色彩と存在は相変わらずだった。
すぐに手に入れてしまおうと思った。7年の年月の経ても尚、カカシを魅了して止まない金色。
だけど、ナルトの記憶から〝灰色ねずみ〟の存在は綺麗さっぱり消えていた。わかっていたこととは言え落ち込む気持ちを抑えることは出来なかったが、その反面、コンビニで元気に働くナルトの姿にあの頃とはまた違う感情を抱くようになった。客として通う内に、満たされていく何か。それはあの頃から感じていた感情の延長線上にあったかもしれないが、カカシはナルトと新しい関係を築いた。
過去の自分は確かに8歳のナルトに恋をした。だけど15歳のナルトと再会して、もう一度好きになった。カカシは二度、ナルトに恋をした。
すぐ自分のものにしてしまおうという凶暴な気持ちはたぶんカカシの中にまだあるが、それ以上に今はこの金色を大切にしたいと思った。心境の変化かもしれない。
明るく笑っている笑顔の裏に、まだどこかあの日の影も残していているこの少年を守ってやりたいとも思う。あの頃の未熟な自分では出来なかったことも、今では少しだけ出来るようになったから。
だけどさ…とカカシは一人ごちる。
あの人の子供だからそりゃ綺麗に育っているとは期待してたよ。どんな少年になっていても、愛せる自信はあった。だけどまさか辛抱が堪らなくなるまで美人に成長しているとは思わないでしょ。
見た目は勿論のこと中身まで、極上品。キス以上のことは大人になるまで我慢してあげるつもりだったが、いつまで持つのことやら。
「ナールト、次の休みに近所で花火大会があるんだけど行かない?」
「行く!」
「即答だねぇ」
「だってさ花火大会っつーとあれだろ。リンゴ飴、カキ氷、綿飴、イカ焼き、焼きソバ、お好み焼きーっ。夜店がいっぱいじゃん!」
「おまえ食うことばっかだねぇ」
「んじゃ金魚掬いもやりてぇ!」
「……食うなよ」
「食わねぇって。ホラーなこと言うなってばカカシ先生!」
カカシの手で頭を押さえつけられたままのナルトは「仕方ねぇからカカシ先生に買ったもん半分ごっこしてやってもいいってばよ」などと笑っている。
「金魚の半分こはいらないぞ」
「だからホラーだってばよカカシ先生!」
ははは、とカカシが笑って、霞めるようにナルトの唇にキスをする。
「……カカシせんせぇ、オレってば勤務中」
「バイト、いつ終わるの?」
「………っ。あと5分」
悔しそうにナルトが答える。
「それじゃあさ、このあとデートしない?」
モスグリーンとホワイトのストライプの制服に包まれた身体を抱き締めながらカカシが、ナルトの顔を覗き込む。もちろん、満面の笑顔で。
「知ってて来たくせに。……ズリぃ大人」
「その大人がおまえの恋人なんでしょ?」
瞬間、ナルトの顔が音がするほど赤くなって、よろめいた少年は商品陳列台に強かに頭をぶつけたのだった。
わずか十日間とちょっと。それが8歳のナルトとカカシが過ごした時間だ。
実質、二人が遊んだ最後の日。カカシとナルトが公園の砂場で作った砂のお城は、塔の変わりにカカシが買ってきた缶コーヒーを骨組みにして、かなり不恰好で、イビツな出来上がりとなった。
二人が作ったものはけして上手な砂のお城ではなかったのかもしれない。だけど、カカシが師と仰いだ大人も、カカシ自身も、そしてナルトも、一生懸命、自分たちだけの砂のお城を作ろうとしていたことだけは確かだ。砂のお城のその行く末はまだ誰も知らない。
「ほんっと綺麗に育ったなぁ」
カカシは私服に着替えてコンビニから出てくるナルトを待ちながら微笑する。
「カカシ先生、お待たせ!」
アーケードに腰掛けていたカカシに手を振りながらナルトが駆け寄って来る。カカシは目を細め、太陽の下で輝く金色を見詰めた。
「さ、行こうかナルト」
カカシは遠い過去の日を思い出す。砂場で学べないことはない…か。まぁ、確かに。砂場はカカシとナルトにとって重要なものだったとは思うが……―――だけどやっぱりそんなの嘘だね。
7年前、公園の砂場を出たカカシとナルトは、今こうして再会して、砂場では学べない恋なんてものをしている最中だ。
だってさ砂場でキス以上のコトに及ぶのはちょっと頂けないでしょ?
end
灰色ねずみ終了です!現代パラレルシリーズ、次はイチゴミルクの続編になります。
ひたすら長いだけの現代パラレル過去編にお付き合い下さり有難うございました!
追記ですが、砂のお城=家族・家庭でお願いします。
灰色ねずみはYUKIのプリズムがテーマソング。
「ねずみ、大丈夫だってば?」
「ああ……」
「ひとりで帰れう?」
「帰れるよ」
「転ばないように気を付けて帰るんだってばよ」
子供に心配そうに見上げられたカカシは、苦虫を百匹ほど噛み潰した表情で、ナルトの頭を撫でた。ふらふらとしたカカシの背中を見送りながら、ナルトはこてんと首を傾げる。
カカシが公園から去って行き、ナルトは給食の牛乳パックを握り締めて、河原へと続く道を駆けていた。今日のねずみ変だったってばと思いながら。だけど、「絶対、おまえのことあそこから助けてあげるからね」と手を握られて言われた言葉。擦るように何度も手の甲を撫ぜた大きくて骨ばった指。
変な、変なねずみ。ナルトの心が知らずにふわっと温かくなる。
なんだか、今日はいいことがありそうな気がした。
「チビー!」
ナルトはカカシと一緒につけた仔犬の名前を呼ぶ。
「お腹空いたろ、オレってばしばらく来れなくてごめ……」
はふはふと息を切らしてナルトが土手から橋の下へと走り寄る。だけど、ナルトの足がだんだん走力を失くした。ナルトが近寄ると、いつも聞こえる元気な鳴き声がない?
「――…んな?」
一歩、二歩と、ナルトはゆっくりと秘密基地へと近付く。
「チビ……?」
ぐしゃぐしゃに荒らされた段ボール箱。近くに転がっている鉄の棒と鋏。地面にボロ雑巾みたいに転がっている塊。数日前まで真っ白だった毛にはべったりと血がこびり付いていた。四肢は折れ曲がり不自然な方向にひしゃげ、口からはみだした千切れた舌が、だらんと地面に垂れて、先が裂けている。
ナルトの頬をペロペロと舐めた舌。くすぐったいってば、なんて言いながらも、一生懸命生きる小さなその存在が愛しくて、大好きだった。
抱き上げた時ドクドク脈打つ心臓は、確かに生きている証だったはずなのに。ナルトは呆然と広がる赤を見下ろした。「きゃん!」と仔犬が鳴くことはもうない。
泣いた子供を灰色ねずみは見ていた9
別に生きていても死んでいてもいいと思っていた。たった一人で生きて行くことはコンパクトで簡単だ。ずっと一人で生きて来たのだからこれからもそれでいいのだと思っていた。だけど惰性で生き続ける毎日とか、自分の周りにいる人間が煩わしくて仕方がなかった。大切な人間なんて誰もいない。たくさんの人々に囲まれているくせに、何故か自分の心は、喜びも、感動も、躍動も、哀しみすら何も感じなかった。
最後に涙を流したのはいつだっただろうか、とそれすらも思い出すことができない。もし自分の身体を切り開き、内蔵を引きずり出したなら、己の中には何が残るのであろうか。カカシの心臓、心の代わりに詰まっているもの。ああ、これは空洞を叩いた時の、からっぽの音。
カカシは深い眠りの淵から浮上した。公園から帰ったあとカカシはベットに横になり、これからのこと、それからここ数日ことを考えていた…三日ばかり色んな方面を駈けずり周り、ろくに寝ていなかったせいだろう、体力の限界が来ていたようだ、夕寝をしていたらしい。見た夢は自分が手術台で実験動物よろしく切り刻まれてホルマリン漬けにされるという、相変わらず最悪な悪夢だったが、何故だろうやたらとすっきりした気分だった。
………―――――。
「………?」
誰かの泣き声が聞こえた。透明な空気を通り抜け鼓膜を震わせる音。誰の泣き声だろう。カカシは引き寄せられるように伏していたベッドから起き上がった。
「………ナルト?」
辺りは夕焼け。ナルトと会えなくなって最初の二日。公園に行ってもあの子の姿はなく、肩を落とし帰る日が続いた。あの子のいない公園は色褪せて見えるから不思議だ。公園で遊ぶ子供たちはまったくカカシの興味をそそらなくて、またスロットと飲み屋に足を運ぶようになった。
いつも通りの生活。いつも通りの毎日だったはずなのに。これほどつまらなく、味気ないものだっただろうか、と少しも美味くない酒を飲んだ。そして、公園でナルトと過ごした数日間にはつとそうしたことを思ったことがなかったということに気が付いて、呆然とした。
二日目の夜が明ける頃、カカシはある決心をして、動き出した。今までサボっていた分を取り戻すように、走り回り、色んな方面に協力を試みた。
「………ルト」
擦れた声が出た。……―――これは焦燥?
こんな気持ちも初めてだった。
「………ナルト」
ナルトが泣いている。公園の遊具を通り過ぎ、木造建築の民家と民家の壁の間、猫の通り道、薄暗い路地裏、空き地の土管の中、工場の傍、古びた堤防を横切って、順々にあの子が歩いたと思われる足跡を辿って、カカシは歩く。
聞こえる。音のない声で助けを呼ぶナルトの泣き声。
細く長い、悲鳴。
等間隔で連なる電信柱の影を踏み越え、カカシはあの河原へとやって来た。
「………ナルト」
真っ赤な空を乱反射した水面。風が吹いて短い草が靡く。河原の真ん中に立っている小さな後姿。
「動かなくなったってば…」
夕日を背にして、金色の頭が振り向いた。土手を降り、カカシはナルトへと駆け寄る。泣いていると思った子供の頬はしかし濡れていなかった。あの泣き声は気のせいだったのだろうか。
いや、違うこの子は確かに泣いていた。
真っ赤な世界の中で子供がカカシに話し掛ける。
「……ねずみ、こいつのこと埋めなきゃ」
ナルトの腕の中に抱えられた小さな塊。カカシはそれが何か理解して、眉根を寄せた。
「ナルト、それ……」
「わかんね、どうしてこんなことになったのかな」
淡々とした会話。生き物の死を厳かに悼む子供が、ふいと視線を河辺に逸らした。
「チビ、死んじゃった」
「………」
カカシは誰にともなく問いかけたい。泣かない子供は抱き起こさなくてもいいのだろうか。弱味を見せない子供には労わりの言葉を掛けなくてもいいのだろうか。
大勢の子供たちが痛い、哀しいと泣き叫ぶ中で、ただ一人俯いて涙を堪える子供。それを果たして「偉い子」であると言えるのだろうか。なんて我慢強い子だと褒めてもいいのであろうか。答えはノー。
強いことばかりが美徳であるわけがないのに。涙を堪えたぶんだけ、おまえは強くなるとでも思ってるの。違うでしょ。
痛いって感覚を鈍らせちゃダメなんだよ。音のない声でなんて泣かないで。カカシは跪くとナルトを抱き締めた。子供の懐は血だらけだったけれど構わず強く。
「……ねずみ?」
「泣いてただろ、ナルト」
「……泣いてねーよ?」
「聞こえたんだよ、オレには」
「………泣いてねぇもん」
「…………」
ナルトは、あどけない頬をカカシの首元にすりっと寄せた。
「ちゅ、しようかナルト?」
「………」
「元気になるキスしてあげるね?」
「ん……」
すん、と鼻を啜ったナルトの頬に手を当てて、カカシは己の唇をふっくらとしたそれに近付ける。
「ね、じゅみ……」
ナルトは薄っすらと瞳を開けて、カカシの首に手を回す。しかし、落ちてきた影に目を見開いた。ざざざと風が吹く。ねずみの兄ちゃんの背後にいる大きな男の人はだあれ?
「ねずみ、危ない!」
ナルトの悲鳴。鉄パイプを振り上げた山のように大きな男。ガツといやな音がして、地面がへこむ。カカシはナルトを抱きかかえ、振り回される鉄パイプを避ける。
「なんだ」
「うぉ…ぁぁぁ……」
言葉になっていない不気味な唸り声。
―――この間の変質者か。
懲りずにナルトを付け回していたらしい。仔犬を殺したのもこいつか?
おそらくそうなのだろう。そして、ナルトが可愛がっている子犬の存在を知った。近隣で騒がれている変質者の出没とペット連れ去り事件はおそらく同一犯の犯行。その証拠にでっぷりとした腹の男の手には目を背けたくなるような動物だったものの死骸が握られていた。
カカシは咄嗟に弾力のありそうな腹に蹴りを入れる。「ねずみ、ねずみ、ねずみ」と腕の中のナルトがパニックになったように叫んで、必死にカカシにしがみ付く。カカシの渾身の蹴りは見事、起き上がろうとした木偶人形みたいな男に当たって、男は地面に昏倒した。
カカシは携帯で警察を呼ぶと、子供と向き直る。ナルトは仔犬をスコップで埋めていた。他の動物たちはそのままだ。おそらく飼い主たちがせめて亡骸だけでも引き取りたいと願うだろうから。
ナルトは盛り上がった地面を撫でる。
「オレのせいだってば。オレがこいつのことを構わなければ…」
「それは違うでしょ、ナルト」
「ううん。オレの、せい」
「ナル……」
震える肩。俯く顔。
「泣いてもいいんだよ、ナルト?」
何度も振られる首。カカシは見かねてナルトへと膝折ってしゃがみ込む。
「バカだね、おまえは…」
やっぱり泣き出す一歩手前の顔で、必死に唇を噛んでいる。
泣けば誰かが助けてくれるかもしれないのに。同情でもいいから、抱き起こしてもらえるかもしれないのに。救難信号を送ることの出来ない不器用な子供。
「おいで、ナルト」
カカシはナルトに向かって両手を広げる。だけど、いつまでたっても近寄って来ないナルトに苦笑して、カカシは自らナルトの腕を引き寄せた。
「あっ」
「泣きなさいよ」
ぺちぺちと頬を叩いて、おでこをこつんと合わせて見る。ひう…と子供から嗚咽が漏れる。
「泣いてごらん、ナルト?」
オレが見ていてあげるから、安心して泣きなさいよ。おまえが泣いて呼んだら、駆けつけてあげるから。だから―――、
「もう大丈夫だよ」
カカシの言葉に子供の涙の粒が決壊した。
「うぁぁああああん」
咆哮にも似た泣き声。人間の泣き顔なんて汚いだけで、見苦しいとすら思っていたのに、ぽろぽろ涙を零すこの子供の姿はこんなにも美しい。
ナルトと別れた後、カカシはふらふらと街をうろついた。酒の味は不味く、女の笑い声は煩かった。ナルトのあの現状、どうにかしなければと思う。あれではナルトの笑顔が消えたのも当たり前だ。
カカシが、ナルトと再び会えたのはそれから五日後のことだった。頬に真四角にカットされた綿、それにテーピングテープが貼られていた。
カカシが声を掛けようとして、目の前で金色が地面に倒れる。砂埃が舞って、突っ伏したナルトは、だけど声も上げず立ち上がると、また無表情になって、てこてこと歩き始めた。
「―――っ」
胸を突かれるような感覚。
「ナルト」
名前を呼ぶと、金色のふわふわ頭がぴょこんと反応した。
「灰色ねずみの兄ちゃん!」
「おまえ、また転んで……痛かったでしょ?」
「全然、痛くなかったってばよ!」
「嘘」
「嘘じゃないってばよ!」
本当は聞きたいことはそんなことではない。だけど、その頃のカカシには子供を抱き締めることしか出来なかった。
「ナルト」
「なーに」
「キス、しない?」
「へ?」
「おまえの大好きなちゅーしようよ」
そう言うと、幼子はカカシの言いたいことを合点したらしい。
「したい!」
「ん、ナルトはいい子だね」
「オレ、ねずみと〝ちゅ〟するの好き」
ナルトは無邪気にきゃらっと笑うと嬉しそうにカカシに向かって自ら身体を伸ばして来た。
カカシはそっと真ん丸い頬を撫でて、薄っすらと目を細める。
二人に追加された危険な遊び。
〝大好きのちゅ〟
「ナールト、もう1回」
「んにょ……?」
「はい。〝んっ〟」
「〝んー〟」
カカシがちょんとナルトの唇を突く。別に、カカシはナルトとキスをしてもなんとも思わないが、嫌だとも思わない。まだミルクの匂いのする子供の感触は酷く温かかった。ただ口をくっつけているだけのこの行為にこんなにも安心するなんて、今までどんな女にも感じたことがない。
陽だまりを抱き締めているみたいだった。人間なんて肉の塊だと思っていたのに、この子には人間に対する嫌悪感も何も抱くこともなく、さらさらとした肌の手触りにうっとりするだけだった。
「ん……」
だが、ナルトが息継ぎをした時、小さな口が開けられる。その瞬間、そろりとカカシの舌がナルトの狭い口腔内に入った。
「………っ」
「にょ?」
偶然にもナルトの舌がカカシの舌を慰撫した。
「!!!」
ナルトがカカシと口をくっつけたままぱちくりと瞳を瞬かせる。
「ねずみ?」
ちゅ、とナルトの唇が無意識だろうが、カカシの唇を吸い上げる。ゾクリと背筋に何か得体の知れない感覚が湧き上がって、カカシは慌てて、子供から身を離した。
「……え」
「……?」
「…………え」
「ねずみ……?」
こてんとナルトが首を傾ける。なんだ、今の感情は。無邪気な子供とのスキンシップとは別の何か。自分はこの子の父親が好きであったはずだ。だがしかしそれと同じくらいの、いやそれ以上のまったく別物のこの感情はなんだ。
「どうしたの、ねずみ。オレとの〝ちゅ〟いや?」
不安そうな子供の瞳がカカシの胸を射抜いた。
「……………っ」
顔を赤面させて、はたけカカシ22歳、遅まきながらの恋愛自覚。
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管理人の生態
自己紹介
名前 空気猫、または猫
職業 ノラ
趣味 散歩・ゴミ箱漁り
餌 カカナル
夢 集団行動
唄 椎名林檎
性質 人間未満
日記 猫日和
ある日、カカナルという名のブラックホールに迷いこむ。困ったことに抜け出せそうにない。
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