空気猫
アスマさんが大好きです。
パラレルっていいですね。みんな生きてる設定です。
息を切らして、アパートの階段を駆け上る。携帯電話を握って、震える手でアドレス帳を開くが、誰に連絡をしていいのかわからないことに気付いて愕然とする。シカマルやキバやチョウジに、相談すればいいのだろうか。でもなんて言えばいいのか。いつも笑って自分の傍にいてくれる仲間を、こんな薄暗い事件には巻き込みたくはなかった。
「カ、シせんせぇ……」
いつでも相談してね。と言った彼の声。
今すぐにでも声が聞きたいと思ってしまうのはどうしてだろう。携帯のアドレスすらも知らない人なのに。今になってカカシと自分を繋いでいた糸は脆く儚いものであったのだと気付いた。
いつも当たり前にように顔を見ていたからわからなかった。カカシがコンビニに来ることを止めてしまうだけで、二人は顔を合わすことさえ出来なくなってしまうかもしれないのだ。
そんな微妙なラインをたゆたっていたはずの二人なのに、それを感じさせないくらい、自分はカカシの笑みに安心していた。それを怠惰だったと言われてしまえばそれまでだが。
――いいかい、これ以上、あのカカシとかいう男と親しくしたら、彼が酷い目に遭うよ。
「や……」
キャンキャンと耳の奥で木霊する仔犬の鳴き声。血溜まりと夕焼けと河原と誰も居なくなった部屋。たくさんの洪水のような過去の光景。もう失うのは嫌だ、もう誰かが居なくなるのは嫌だ。ぎゅっと拳を握って、セピア色の記憶が蘇りそうになるのを頭を振り払って止める。
「ナールト」
木の葉マート。いつもの時間、いつものテンションで、片手を上げたカカシが来店して、いつも通り、金髪のコンビニ店員が笑みで向かえる、しかしその法則は今日、初めて破られた。
「ヤマトたいちょ、オレってばバックで冷凍室の在庫チェック行って来るってば!」
「え、ナルト?」
カカシの顔すら見ずにパタパタと走り去る少年。あとに残されたのは、カカシとその日、ナルトと共にシフトに入っていたヤマト。
「……カカシ先輩、あの子に何かしましたか?」
ジト目でカカシを睨むヤマト。信用ないなぁと思いながらもカカシは苦笑する。
「したというか、してしまったというか、したんだけど」
「つまりしたんですね?」
「んー、でも本気でイヤがっているようには見えなかったんだけどね……」
「貴方って人は~……」
おかしいなあと暢気そうに頭を掻くものの、視線はいつまでもバックヤードに固定されたままで、それが傍目にはわからないが、はたけカカシの動揺を如実に表していた。
その日から、カカシはナルトに避けられるようになった。
「ナールト」
カカシがニコニコと笑ってナルトに話し掛け、ナルトが哀しそうに目を伏せる。レジに向かい合った2人の表情はどこまでも対照的で、やがてカカシが困ったように表情を崩した。
「…ナルト?」
「―――っ。お会計1270円になりますってば」
「………」
「あ、ありがとうございましたってば、またのお越しをお待ちしてますってば!」
まるでカカシに早く去ってくれとでもいうような一方的な接客態度、儀礼的な挨拶。
「おまえ。顔、真っ青だよ?」
びくんとナルトの身体が強張って、カカシから逃げるように後ずさる。「そんなことないってばよ…」カカシが顔を顰めて、ほぼ無意識で心配そうにナルトの手の平に己の手を重ねると、電流を受けたかのようにナルトの手が払われる。
「…ルト?」
「ご、ごめんってばカカシ先生っ」
傷付いたようなカカシの顔にナルトは必死に堪えて俯く。
「オレの方こそ、ごめん。―――触られてイヤだったよな…」
「あ……」
違う。カカシはいつだって神経質なほど、ナルトとの距離を取っていてくれていたのに。
ナルトは自分の手をぎゅっと握ったまま、唇を噛んで、顔を歪めたが、結局喉元まで出掛かった言葉は音になることなく、喉奥に張り付いたままで、気不味い空気が二人の間に漂う。
「もうここに来るの止めた方がいい?」
「………っ!!」
「おまえがいやだって言うならオレはもう来ないよ?」
「あ…っ、その…」
揺れる揺れる碧球は、海より深い哀しみの色に染まっていて、ああ、あの「河原の時」のように泣き出すのを必死に堪えている顔だとカカシは遠い過去の光景を思い出していた。
「好きな子が目を合わせてくれなくなった」
薄暗い小部屋で、猿飛アスマは吸っていた煙草をぽろりと落とした。長椅子に抱き枕を抱いて寝っ転がり、いじけている長身の友人はいい男台無しな現状なのだが、それはまぁ結構日常の事であったりするので、とりあえず横に置いておく。
「って、おまえの好きな奴ってのは確か、あの金髪のガキンチョ――」
「ナ・ル・ト・だよ。アスマ、おまえねぇ―――」
「とうとう手ぇ出して嫌われたか!?よっし、今日はヤケ酒に付きやってやる」
「…なんでみんな開口一番にそういうわけ?」
信用の問題である、とアスマは喉元まで出掛かった言葉を飲み込む。
「一発食いのカカシだろ、てめぇは。スゴかったなぁおまえの10代から20代前半は」
「そんな過去は消去しました。今はあの子以外見えないよ」
むくれていじけるもうすぐ30代になるだろう男。その姿はちっとも可愛くない。ここ数ヶ月コンビニ通いなんてまるで似合わないことを地道にやり続けていた友人に、ああ重症だなとアスマはため息を吐く。
「あー…、なんつーかなぁオレは、できれば友人がティーンエージャーに手ぇ出すとこは見たくねぇよ」
「……これでも7年我慢したんだけど?」
「そういえばそういう変態だったなおまえ」
「失礼なこと言わないでよね。たまたま好きになったのが、あの子だっただけでしょ」
「で、マジで襲い掛かって嫌われたのか?」
「人をケダモノかなにかのように言わないでくれる?――まだ、何もしてないよ。…ま、味見の予約くらいはしたけど」
「なんだそのあからさまに怪しい発言は」
「ナールートー、ああああ話したい、さわりたいー」
「一回、おまえのこの情けない状態をあのガキに見せてやりてぇよ、オレは」
「……なにが?」
胡乱そうに友人を見上げる銀髪の男。100%無意識でやってるのだから始末に終えねぇと髭の友人はガシガシと頭を掻き、
「……いいから上に仕事しに行けよ、四代目が怒ってたぞ」
「あー。あの人にナルトに会いに行ってるバレたらぶっ殺されるだろうなぁ」
尚もぶつくさ言っている友人を蹴り倒したのであった。
場面が3回変ります。コンビニ 学校 夜道。
―――続きはまた今度してあげる。
鼓膜の奥で何度もリピートされる甘く擦れた囁き。
「お会計に720円になりますってば」
カカシが去った後も火照った熱は尚も冷め止まなくて、むしろ心音は酷くなるばかりだった。カカシの吐息の掛かった唇に知らず指を当てていると、
「ちょっと、きみ」
「あ。す、すいません。お釣りの方お確かめ下さいってば」
接客中だというのに上の空になってしまったらしくイラついたような男性客の声にナルトは慌てて背筋を正す。
「ありがとうございますってば。またのお越しをお待ちしてます」
オレってばなんか変、と胸に芽生えつつある想いをゆっくりとではあるが自覚して、だがその動揺を隠し切れなくて(だって、カカシ先生もオレもオトコだってばよ)、つまりそのカカシ先生はオレのことをそういう意味で?と今までの関係が根底から引っくり返ってしまうような衝撃を受ける。
触られて嫌ではなかった、それが困ってしまう。あせあせとお釣を渡し会計を終えて、ビニール袋をお客に渡そうとすると、
「ねぇ、きみさぁ。あの男とどういう関係なんだい?」
「へ?」
唐突に腕を掴まれた。目の前に立っているのはスーツを着た20代後半くらいの痩せた男で、店内に今お客は彼ただ一人だった。
「いやに親しそうだったね。コンビニ店員が一人のお客さんとあんなに仲良くして良いのかい?」
ぱちくりと瞬きをして、え?え?とナルトの動きが静止する。
「あ、あの…?」
カカシのことで頭がいっぱいになっていて注意力がおろそかになっていたが、ナルトは改めて男をまじまじと見つめ、そういえば何度か見たことのある顔だと思い出した。
彼は、来店するたびに文句や嫌味を言って来る会社勤めっぽいサラリーマンの客で、ナルトのことが気に食わないのか、ナルトが何をしたわけでなくても何故かいつも叱られ「店長に苦情の電話入れてもいいんだよ」と言い出すのだ。大体はナルトが困った顔をすると、それに満足したように去って行って、実を言えば彼への対応には前々から困っていた。
前に一度ヤマトと一緒のシフトに入っている時に、私語がうるさいと酷く怒鳴られた覚えがあったが、とはいってもナルトはわからないことをヤマトに聞いていただけで、けして騒ぎすぎたわけでもない。一方的にがなり立てる彼は「すいません」と謝るヤマトの言葉なんてまるで聞いていなくて、騒ぎ立てるだけ騒ぐとナルトのことを射殺してしまいそうなほど睨んでから去って行った。その時のゾッとした背筋を這うような感覚は今でも忘れなくて、「世の中には色々な人がいるからなぁ」と頭を掻くヤマトに、暗に気にするなと慰められたのだが、あんな経験は容易に忘れられるわけがなかった。
最近では彼のレジはなるべく速く終わらせようと気を付けていたのに。
「あ、あのカカシ先生とは別に…」
ナルトが俯いて応対すると、男の顔が不機嫌そうに顰められる。身体を引こうとしたナルトの手に、汗ばんだ手の平が重ねられた。
「カカシ先生って、あの人はきみの学校の先生か何かなのかい。それにしてはそうは見えなかったなぁ…」
ねっとりとした声。掴まれた手を上手く言葉で表せられないが、猥雑なざわりとした触り方で撫でられて、足の爪先から頭のてっぺんまで総毛立つ。
カカシ先生には触られても全然嫌じゃなかったのにっ。
「は、放して下さい…っ」
頭の中で警鐘音が鳴り響き、ナルトは咄嗟にぱしんと音を立てて手を払う。すると男がユラユラと揺れ始めて、蒼褪めて後ずさったナルトに男は、
「拒絶するのか…」
と、ぶつぶつと呟きだす。そのまま、ふいっと糸が切れたように男は背中を向けて去って行き、我に返ったナルトの腕にはくっきりと男の手の形に痣が残っていた。どっと汗を流している自分に気付いたのは更にそのあと。
「あー、見えそうで見えねぇっ」
「ば―か」
昼休み。雑談でざわつく教室の中。窓際でだらんと腕を窓の外に放り出しキバは張り付くように窓の外を見ていた。キバの目線の先には、校庭で制服の姿のまま、バトミントンをやっている女子高生たち。彼女たちがシャトルを打ち上げるたびに膝上のミニスカートがヒラヒラと揺れて、キバはその度に頭を低くして「あー」とか「うー」とか「もうちょっと」などと唸っている。そんな友人にシカマルが雑誌を読みながら呆れた声を上げた時、腰に手を当て仁王立ちした桃色の髪の少女が彼等の前に立った。
「あんたたち、私の席の前で何やってるのよ」
「げ。春野」
「今、座るんだからどいて頂戴」
ど・け。と虫を追い払うように蔑んだ目で彼女が一瞥をくれるとキバが転がるように席を明け渡して、向かいの席でスナック菓子を口に放り込んでいたチョウジの横にお座りをした犬のように着席する。
「めんどくせぇなぁ」
机に足を乗っけて、椅子の前足を浮かせつつ、シカマルが雑誌から目を上げる。
「こんなに可愛い美少女がクラスにいるってのに、他に浮気してるからよ」
胸を反らして主張する彼女に、いやもうおまえは女に見えねぇと最初の4月でうっかり彼女の本性を見てしまったシカマル、キバは心の中でだけこっそり突っ込む。
げんなりした男たちを見回し、サクラはふと違和感を感じる。ここで「サクラちゃんそれってば超誤解。オレってばオレってば、サクラちゃん一筋だってば!」とうるさいくらい主張してくる声が今日はない?
いつもならこの手のことにはキバと一緒になって騒がしいくらい、はしゃいでいても良さそうな少年の姿がなかった気が付く。軽く首をひねって、シカマルの背後、教室の窓際1番後ろの少年の席を見ると、腕を枕代わりに突っ伏している金髪。
「…あら、ナルトったらまた寝てるの。最近、多いわね?」
「ああ、なんかバイト疲れらしいぜ」
「……授業中にも居眠りしてなかった?学費のために働いてるのに、学校に来て寝てちゃ意味がないじゃない」
サクラが100%正論を述べるとシカマルが顔を顰める。
「春野、おまえなぁ」
何よ、文句でもある?とでもいうような少女に悪気はないのだとシカマルは無理矢理納得する。
「そりゃおまえの言うように出来りゃぁいいけどよ。でも、現実はそれほど上手くいかねぇだろ?それでなくてもコイツは器用な性質じゃねぇんだし」
「だけど、養いの親御さんが居るんでしょ。その人たちに頼ればいいじゃない?」
「……こいつなりに色々考えたんだよ」
あっけらかんとした少女の、無垢故の質問。総じて面倒臭せぇと、シカマルがカシカシ頭を掻いていると、サクラが頭だけ傾け、突っ伏して寝ているナルトの顔を覗き込んで、
「…皺、寄ってるわ」
黙っていれば端正な顔なのね、と呟きつつサクラは屈んでナルトの眉間に指を当てる。しかし、その瞬間ナルトは跳ねるように起きあがり、
「―――っ」
「ナ、ナルト…?」
蒼褪めて肩で息をする少年。
「―――あ、ごめんってばサクラちゃん」
およそ、拒絶という言葉の似合わない少年のいつにない反応にサクラは驚いたように手を引っ込めた。しかし、ふにゃりと優しい「いつもの笑顔」になった少年に、ああこんな巧みな所作も出来るのだとサクラは目を見張った。ナルトのこの笑顔は人を安心させるために造られた偽りの顔であり、たった今、自分は、この子に気遣われたのだ。
なによ、ナルトのくせに生意気じゃない。「おバカねぇ」と思っていた子がひょっこりと見せた別の顔。大人びて、そしてどこか哀しくて優しい対応。
学校では明るい表情しか見せないこの少年は、本当は自分なんかよりずっと先の道を歩いているのではないかと、わけもなく取り残された気分になってしまった。
サクラが初めて金髪の少年が見せた所作になんとも微妙な胸の痛みを覚えている一方で、起き上がったナルトにシカマルとキバ、チョウジたちが集まって銘々に騒ぎ出す。
「おーい、ナルトどうしたんだ最近」
「んでもねーって」
「おまえ、昼メシは?」
「なんか食欲ねぇ……」
「ボクのお菓子わけてあげよーか?」
「…さんきゅってば、チョウジ。だけどまた今度な。なんか眠くて…。わり、ちょっと寝かしてくんねぇ?」
言うや否や、へらっと笑ってナルトが机に突っ伏す。すう、と寝息を立てて小さく丸まって寝る少年に一同は顔を見合わせる。
「ナルト。夜、眠れないのかな?」
チョウジがお菓子を食べる手を止めて、ぽつりと呟く。
「バイトで遅くなってるにしちゃー、おかしいよな」
キバも珍しく難しそうな顔を作る。
「今までバイト詰め過ぎだったのは、生活のためと、たぶん家に帰りたくねぇだろ。だけどこりゃ他にもなんかありそうだぜ」
シカマルがまとめて、キバがチョウジの方に向き直り、椅子の背凭れに顎を乗っけつつ尋ねた。
「つーかチョウジってナルトには菓子分け与えるよな。オレたちにはぜってぇくれねぇくせにさ」
「最後の一口は譲れないけどね。だって、ナルトは誰かさんたちみたいに、ずうずうしくないし」
「ずうずうしいだろ、コイツ。この間なんてオレの運動靴を勝手に履いて体育に出やがったんだぜ。で、なんて言ったと思う?〝わり、間違った〟の一言だぜ?」
「そうかな。それは本当に間違っちゃったからでしょ。でも、本当のナルトって誰に対してもいつもどこかで一歩引いているよね」
チョウジの言葉に、キバが「あぁ?」と首をひねる。
「ナルトって絶対、人の手から食べ物とか食べないの。一応、あげたらなんでも喜んでくれるのに、それ以上はどうしても踏み込ませてくれないんだよ。だからボク、その壁を取っ払いたくてナルトのことよく餌付けしてたんだよねー」
シカマルがやっぱり顔を顰めて、キバがまた難しい顔を作って、サクラの眉が潜められる。チョウジが、彼曰く誰にも譲れないらしい最後の一口を口に放り込んで、パン!と空になった菓子袋を叩く音が、昼休みでざわめいているはずの教室の中でやけに響いた。
机の上に頭だけをこつんと乗っけて、突っ伏す少年。昼メシ代わりに机の上にぽつんと置かれているイチゴミルクの200ミリパックの、その先にいる人物だけが実はそれに成功していた。
その日の夜。バイトが終わったのは深夜の2時過ぎで、ナルトは俯きながら夜道を歩いていた。電信柱の影から出て来た男に捕まったのは、コンビニを出てすぐのことだった。
「やっとひとりになった」
「!??」
「ずっと待っていたのに先に帰っちゃうなんて酷い子だ」
ナルトのバイトが終わる時間まで待ち伏せていたのだろうか、やはりあの時のサラリーマンで、ナルトは驚きの余り凍り付く。
ぶつぶつ呟く男から、〝先に帰るってなんだってば〟と距離を取るようにナルトが後ずさる。
オレンジ色の街灯の下でぼんやりと浮かび上がる男は、どこからどう見ても電車や街中で見かける普通のサラリーマンで、それが逆にナルトの恐怖心を煽った。雑踏の中に間切れてしまえば、見分けがつかなくなってしまうほど没個性的な顔立ちの男は、だけど心の大事な部分が確実にひしゃげていて、まっすぐ立っているはずの男の姿が妙に歪んで見えるのは、男の魂の形を如実に表しているからなのだろうか。
走って逃げようとしたナルトだが、くらりと目眩を感じて、いとも簡単に男の手に掴まってしまう。
「ひっ」
「……ああ、近くで見るとナルトくんはすごく綺麗な髪の毛だね。肌も人形のようだよ。そこらへんの女なんてきみのメじゃないな」
「―――さわるな、このやろっ!」
男の荒い息、生暖かい体温。壁際まで追い詰められ、その直後、×××、と男の口が身の毛立つような台詞を模って、ナルトは必死で男に抵抗する。怖い、怖い、怖い。気持ち悪い。ナルトの足が我知らず震える。
「そういえば僕のプレゼント受け取ってくれた?」
「っ!あんたがっ」
「やっと気付いてくれたんだね。僕の気持ちだよ」
「どっか行けってばっ。アンタ、頭おかしいってばよ!」
がむしゃらにナルトは暴れて男の手から逃れようとする。男の腕に、がりりと爪を立て、男が呻き声を上げた隙に男から距離を取る。男はナルトに引掻かれた腕を不思議そうに見てから、肩で息をするナルトに手を伸ばそうとして、ぱしんと払われた。
「どうして、嫌がるんだい?あの男のせいなのか?…オレの方がずっと前から君のことを見ていたのにっ」
「!?カカシ先生は関係ないってばっ。オレはあんたなんか知らないってばっ、もうオレに付き纏うなってばっ」
悔しそうに男が言って、ナルトが驚きの声を上げるが、男はまるで取り消しの効かない壊れたコンピューターのように、
「…そう。やっぱりそうなんだね。そんな生意気なことを言うようになったのもあの男のせいなんだね。前まであんなに従順に僕の言うことを聞いてくれたのに…」
と繰り返している。
「あんた、何言ってるんだってば!?」
従順に僕の言うこと!?あの一方的にナルトに嫌味を言ったり怒鳴り散らしていたことを言っているのだろうか。男の中では、今までのナルトとのやりとりが全て歪んだ形で受け取られているらしく、ナルトは改めてそれに恐怖した。
「ナルトくん」
男が目玉だけぎょろんと上げて、笑った。
「僕という恋人が在りながらどうしていろんな男に色目を使うんだい。そんなに僕を困らせて楽しいのかな?」
「……は。な、なに?」
「いいかい、これ以上、あのカカシとかいう男と親しくしたら、彼が酷い目に遭うよ」
「っ!!なんで、カカシ先生は関係ねぇってば!」
「…………」
男の手がするりと離れて、闇に溶けて行く。男が去った後もナルトの目が大きく見開かれて、血の気を失ったまま立ち尽くしていた。
「なんだってばよ…、これ」
朝、起きるとアパートの扉の前に小さな正方形の小包があった。はてさて自分に宅配物を送る人物など居ただろうかと、訝しみながらも焦げ茶色の包装紙を破き小包の中から出て来たのは、ジャム瓶らしき容器に入れられた白濁とした液体。ナルトだって同じ性を持っているからそれが何かすぐにわかって、傾けるとノリのようにとろみのある粘着質なそれに、ぞわりと背筋が寒くなった。
「―――っ」
朝日の差し込むアパートの一室の中で、誰のモノとも知れぬ吐精物は明らかに異物で、悪戯にしては少々趣味が悪過ぎた。まして15歳の少年の家にこんなものを無断で送りつける時点で、送り主の性的思考が暗く歪んでいることを知らせている。普段からキバたちと雑誌のグラビアアイドルを見て、はしゃぐぐらいしかしないナルトには、見知らぬ人物がいったい何を考えてこれを自分に送りつけたのかという感情すら推し量ることが出来ない。
瓶の九割ほど満たされたそれは送り主自身のシロモノなのだろうか?ゴミ箱に捨てるのも悍ましくて、ナルトはどうしていいかわからずにキッチンで立ち尽くした。ごとんと音を立てて、テーブルに落ちたその瓶と一緒に舞った紙切れにはパソコンで打ったと思われる無機質な、だけど底の見えない書体でgiftの文字。
夜遅くまでコンビニのバイトを入れる日が多くなった。今のナルトの生活では、用事といえばキバたちとたまに遊ぶくらいで、余った時間は家でただぼんやりしているか、バイトに精を出しているかだ。
どうせ家に一人でいるくらいなら、バイトに行った方がお金になるし、生活も楽になる。働いている間は嫌なことも全部忘れられるので、自然とアルバイトに力を入れてしまう。
「やっと並べ終わったってばぁ~」
減った商品を棚に陳列して、ナルトは万歳と伸びをする。しゃがみ込んだせいで、ずり落ちたジーンズの位置を直し、次は床にモップでも掛けようかななんて考えながら立ち上がろうとすると、くらりと目眩を起こして、世界が反転した。あれれ、おかしいってば。力が入らない。
そういえばいつメシ食ったけ?とぼんやり考えて、ちょっとロクな記憶が思い浮かばないことに気が付く。冷蔵庫の端に残っていた干からびたカップラーメンの切れ端っぽいものを口に入れた気がする…と最新の食べ物情報を脳が検索して、しまったメシ食い忘れた、という結論に辿り着く。
思い詰めて考え事をするとすぐこれだ。昔から何か嫌な事があると心より先に身体が反応して自然と食べ物を拒否してしまって、自分の悪い癖を思い出して叱咤したけどもう遅い。またやっちゃったってばと、思った時にはすでに遅くバランスを崩していた。
陳列し終えたばかりの新発売の動物型クッキーのパッケージのライオンのキャラクターがナルトを見てニコニコ笑っている。あー、転ぶと、どこか頭の隅で暢気に考えてナルトの頭が床に衝突しようとする瞬間、
「―――っおっと、危ない」
ぽすんと、後ろから抱き抱えられた。男物の香水が微かに香って、優しい腕に包まれた。
「カ、カシ先生……」
「おまえねぇ、もうちょっと気を付けなさいよ。オレが居なかったら頭打ってたよ?ま、オレのタイミングの良さに大いに感謝して頂戴」
間延びした揄うような口調が今はただ嬉しくて、ほっとした。清潔感のある、だけどちょっとくたびれたシャツ。後頭部にちょうど当たる喉仏から直接カカシの声の振動が伝わって来て耳に心地良かった。
「カカシ先生、他のお客さん来ちゃうってば…」
「ん~、今は誰も居ないよ。ナルトのこと離したくない。こうしてると凄く落ち着かない?だめ…?」
「………」
「ちょっと充電しようか」
何をとは暗に言わず無言になった店内に有線放送の音だけが流れる。やがて、少年の強張っていた身体に力が抜ける。
うっとりと目を細め伏せられた金色の睫毛を見下ろし、前会った時よりまた痩せた、と思いながらカカシは息を吐いて、ふわふわのヒヨコ頭に顎を乗っける。
「本当に、危なっかしい。オレはおまえをほっとけないよ、ナルト」
「え?」
「こーいうこと…」
後ろから足も浮かんばかりに強く抱き竦められて、途端ナルトの鼓動が早鐘のように速くなる。
「カ、カカシ先生…!?」
「今でも十分抱き心地良いけどね。もうちょっとふくふくしてた方が柔らかくて先生は好きだな~」
暴れるヒヨコを閉じ込めて、きゅうきゅうと抱き締めれば、15歳の男子高生だというのに随分、薄っぺらな身体。手首の骨、浮いてるじゃなーいとカカシは眉を潜める。そんな少年に想いを寄せる大人の立場としてはこの子の健康状態はちょっと居た堪れない。
「ナルト、今日なに食った?」
「………」
「食ってないのか…」
「…だって食欲なかったし」
「仕方ない奴だなぁ」
ぼそぼそと言い訳めいたことを言いながら唇を尖らせるナルトを後ろから抱き締めたまま、カカシの右手がガラスケースを開ける。カカシの腕が迷わず選び取ったのはイチゴ柄の暢気なパッケージの200ミリパック。
「とりあえず、これを飲みなさい。食欲なくても飲み物くらいは腹に入るでしょ?水よりはマシだから栄養補給しときなさい」
「なっ。これ売り物だってばよカカシ先生」
「あっそう。それじゃあね、〝たった今これはオレが買い取りました。うずまき店員くんあとでお会計お願いします〟―――これで文句ないでしょ?」
「オレ、バイト中――、」
「ぶっ倒れたら元も子もないでしょ?今一人で入ってるんだし、いざという時、駆け付けてくれる人が居ないんだよ?」
カカシは片手でナルトを押さえたまま器用にストローのビニールを破りそのまま、ん、とナルトの口元にイチゴミルクを差し出す。
ナルトがイチゴ柄のパッケージをぽかんと見詰めていると、「このまま飲みなさい」と信じられないようなことを言われる。ナルトが首を振ると、
「飲まないとこのまま離れてあげないよ?」
ぎゅうと抱き締められて、首元に顔を埋められ、1、2、3、4、5、6秒、とうとうナルトは根を上げた。カカシに両腕を束縛された状態のまま、恐る恐るストローに口を付け、こくんと喉を上下させて甘い液体を飲み下す。
「一口じゃダメだよ、ナルト。全部だよ?」
「ん……」
味なんて最早わからなかった。一刻も早くこの状況から開放されたくて、ナルトはコクコクとカカシの手からイチゴミルクを飲み干す。
「ぜ、全部、飲んだってば。カカシ先生」
一日中、ほとんど機能を停止していた胃には乳飲料とはいえ、受け入れるのに思っていたより時間が掛かったようで、少しだけ息を乱して背後の人物に同意を求めるように振り返ると、空っぽになった容器を片手に、カカシは極上の笑みを見せた。
「ん、ごーっかく」
「わっ」
犬っころのように頭をかき回され、また髪の毛がくしゃくしゃになったじゃん、禁止だっていったじゃん、と思いつつ、だけどジェットコースターに乗った時だってこんなにドキドキしなかったんじゃないかというくらいナルトの心臓が壊れたように脈打つ。
「ナルト。どうしたの、まだ具合悪い?」
「あ、ちがう……っ」
ナルトはわけもわからず恥ずかしくなって「センセ、離してっ」と踠いて、カカシの腕から逃れようと身体を反転させようとするが、逃すまいとでもいうようにカカシの腕がナルトを捕らえ絡めとり離さない。
「こら、なんで逃げようとするの?」
ガラス張りの商品ケースの棚を背中に、前はカカシに挟まれて、横に逃げようとすれば、長い腕に阻まれて、もう片方の手で肩を押される。
「ひぁっ、冷た」
冷えたアイスキャンディ用の商品ケースのガラスがナルトの首筋に当たって、ナルトがビクつくと、その表情さえも逃さないとでもいうようにカカシが屈む。
「……かわいい」
ぽつりと漏らされた感想にナルトの顔が真っ赤になる。それでカカシの視線から逃れられるはずがないのに、ぎゅっと目を瞑って、ズルい大人から見ればどうぞ好きにして下さいとでもいうような美味しい状況。
顎をついと持たれて上を向かされ、ナルトが堪らず精一杯首を逸らす両手を壁に付いたカカシがナルトを囲うように閉じ込める。
身体が自然と強張って、怯えたように瞬きをしたナルトの眼が、カカシを見上げれば碧玉はこれ以上ないほど潤んでいた。
「……――おまえ、本当に煽ってくれるねぇ」
「へ……?」
「具合悪いのにごめんね。――ちょっと我慢できそうにない」
仔犬のように震える身体にカカシの影が覆うように落とされ、抵抗しようとした両手はいとも簡単に掴まれてしまう。
「あ。カカシせんせ、」
「……ナルト、オレのこと見て?」
「せ―――」
カカシの顔があと5センチというという所までナルトの唇に近付いて来て、心臓の動悸がピークに達する。しかし、お互いの吐息が触れ合う寸前で、ぴこんぴこんと気の抜けた音と共に、ちょうどサラリーマン系の痩せた男が店に入って来た。
ふっと糸が切れたように店内の濃密な緊張感が霧散する。
「惜しいな」
「―――い、いらっしゃいませってばっ!」
カカシを両腕で押しやりナルトは慌てて笑顔を作って、挨拶したが、同様を隠せない状況とはこういうことを言うのだと思った。バクバク破裂しそうな心臓を抑えつつ、しどろもどろしていると、横のカカシと視線がぶつかる。
「!!!!」
警戒心剥き出してざざざざと壁際に引き下がる金髪の少年を見て、
「びっくりさせちゃってごめーんね?」
草食動物の笑みを浮かべていて、ナルトの乱れて外れた制服の第1ボタンをこっそり戻してやる。もちろん外したのは隠すまでもなくカカシ本人なのだが。
「…カカシセンセ。ど、うして」
「ナルトが好きだから」
「へ?」
どういう意味で好きかなんて野暮なことは言わずにカカシはただ微笑してふぅっとナルトの口元に息を吹きかける。
「っ!」
「予約済みだから誰にもあげないでね?」
秘め事のように声を潜め、左目を瞑ってウィンクひとつを贈り物に。
「続きはまた今度してあげる」
ぼそぼそと耳元で囁かれて、ナルトの耳朶が熱を灯したかのように熱くなる。
「店員さーん、これのお会計してちょーだい」
長身痩躯の成人男性の彼が持つには似つかわしくない可愛らし過ぎるパッケージを、長細い人差し指でトントンと突いて、はたけカカシはもうお客さんAの顔ですましている。そんな大人の背中を、ナルトは一拍遅れて放心状態から我に返るとサラリーマン風の男性客を残して慌てて追いかけてレジに向かったのであった。
コンビニ店内で迫った件についてはカカシ先生曰く
「だって我慢できなかったんだもん」
だそうです。あとでヤマト隊長が録画されていた監視カメラの映像を見て、なにかジュース的なものを噴出していると客観的に非常に面白いと思います。
今回は木の葉スーパーです。うずまきくんのアパートからダラダラ歩いて20分の距離。
「あ!」
「あれ、ナルト?」
エアコンのよく効いたスーパーで、銀髪の男と金髪の少年が、一人は少しだけ目を見開いて、一人は拳が入りそうなくらいあんぐりと口を開けて対峙していた。「奇遇だねぇ」と銀髪の男が微笑んだので、「うぃっす」と金髪の少年が慌てて頭を少しだけ下げる。
「凄い、偶然だってば」
まさか、先程まで思い浮かべていた人物と遭遇するとは思わず、ナルトは微妙に動揺して、手に持っていた商品を買い物籠の中に放り込む。
「あ、イチゴミルク」
「んあ?――あっ」
途端、ナルトの顔が真っ赤になる。
「これは、その。やっ、お気に入りというわけではなく、なんとなく手に取っただけというか、たまたまというか!」
「ふうん、そうなの?」
「そ、そうなんだってば」
「ナルトって甘いもの好きそうな顔してるよね~」
ナルトの買い物籠にすでに放り込まれたイチゴ柄のパッケージ。無意識に手に取って入れていたらしく、別に慌てることなど何もないのに、ぽそぽそと言い訳めいたことを言っているナルトは、大人に笑顔で見詰められる。ちなみに、ナルトは聞き流したが「甘いものが好きそうな顔」が果たしてどんな顔だと尋ねた場合、ロクな答えが返って来ないだろう。
「カカシ先生も買い物だってば?」
「まぁね。ナルトもでしょ?」
「あー…、うん。まぁ」
買い物籠を手持ち無沙汰に提げてナルトは視線を泳がせる。
「なあに、歯切れが悪いねぇ」
「だって、なんだか変な感じだってば。ずっと店で会ってたからさ。こういうふうに外でカカシ先生を見るの初めてだってばよ」
照れたように頬を掻く金髪の少年をカカシは目を細めて見詰めて、心の中では可愛いなぁなんて思っているのだが、そんなことは億尾にも出さずに、ナルトの横に並んでカートを押す。いや、彼をよく知る人間ならば、これほどヤニ下がった奴の顔はとんと見たことがなかったなくらい言ってみせるかもしれないが、そのままカカシとナルトは二人で、それじゃあと別れるでもなく、かといって一緒に買い物をしようかというわけでもなく、なんとなくタラタラと、店内を歩き始めて、それがここ数ヶ月で変わった変化なのだと言えばそうなのかもしれなくて、非常に微妙で僅かな距離なのだと思うのだけど、レジを挟まない場所でこうして並んで歩いても会話が途切れることがないほどに二人の距離は確実に縮まっていた。
「……カカシ先生、それ先生が全部、食うの?」
ナルトが眉を顰めてカカシのカートに目を向ければ、そこには山盛りの食料品。パスタ類、牛乳、玉ねぎ、ブロッコリー、トマト、カレー粉、生麺、ニシン、ササミ肉、生海老、パセリ、ニンジン、赤カブ…。それがカートに所狭し詰め込まれていて、目眩のするような買い出し量だ。
「まさか。そんなわけないでしょ、おまえオレをどれだけ大食らいにしたの?」
「いや、だって…」
かくや「はたけカカシ実は大食らい説」が湧き上がろうとしているヒヨコ頭の少年に、カカシは苦笑する。
「これは仕事用」
「仕事用って…」
ナルトはかくっと首を傾げて、モクモクとはたけカカシの色々な職業を思い浮かべる。
「そういえば、カカシ先生ってなんの職業の人なんだってば?」
尋ねてから、しまった踏み込み過ぎたかなと思ったのだけど、カカシは気にしたふうもなく微笑む。
「ナルトがね、ちょっと勇気を出せばわかるんだよ?」
「?」
「おまえこそ、買おうとしてるものインスタントラーメンばっかりじゃない。ちゃんと野菜とかも食べないと身体、壊すぞ?」
「あー、いらねぇってば。オレってばあんま野菜とか好きくねーの!」
ナルトが腕をクロスさせ「ノーサンキュー」とバッテンを作るのだけど、カカシといえば野菜も食べなきゃダメだよ~、とナルトの買い物籠に緑や黄色物体をどんどん放り込んでいく。選んでいるというよりは、手当たり次第カゴに投入するという、ナルト的にはありえない光景に、ナルトはわーっと声を上げる。
「ぎゃーっ、んなに食べれないってばよ!」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。オレが買ってあげるから」
「そーいう問題じゃねぇっ」
結局、腐らせたら勿体ないというナルトの主張で野菜は適度な量に減らされ、さらにレジの前で代金を払う払わない押し問答の末、なんとなくカカシの強引さに押されて、今回のナルトの一週間の食料費はカカシの財布から出ることになった。人様にモノを奢らせるオレって、と流石に心が咎めるが、当の奢っている本人がやたらと上機嫌なので何も言えない。まぁカップラーメン代だけは自分の財布から断固主張して出したことだし次はちゃんと自分で払わなきゃ、とそこまで考えた所で、次ってなんだってばぁあああと自分の頭の中で盛大なセルフツッコミが入る。
それというのも今の状況が悪いのである。柵に囲われた木が等間隔に並ぶ道を歩きつつ、ナルトは自分の横で当然の如く一緒に歩いている人物を見上げる。この人はなぜナチュラルに自分の隣に歩いているのか。
10分前、車で買い物に来ていたカカシは自分の車の中に荷物を運ぶと、それじゃあ行こうかとナルトの荷物を一つ奪い、歩き出した。
「荷物、いっぱい買っちゃったから一人で運ぶには重いでしょ。手伝うよ」
「は?い、いいってですってばよ。ちょ、荷物返してくださいってば」
「だって、どうせ車で送るよって言っても乗って行かねぇって言うでしょ?」
「へ?」
「本当に変なところ遠慮するんだから。まだ15歳なんだし、もうちょっと人に甘えること、覚えたほうがいいと思うよ?」
さー、いくぞーとナルトの指の端を少しだけ、引っ張ってカカシがどんどん歩き出す。
「って、カカシ先生、二度デマじゃんっ。なんでついてくるんだってばよ!」
ナルトは強引な背中に向かって声を掛ける。
「オレがナルトと一緒に歩きたいんだからいーの」
「だめ、だめ、だめだってば」
「なあに。いやに不定するね。ナルトはオレと歩くのいや?」
「そ、そういうわけではなく!」
「じゃ、いいでしょ?」
そんなわけで今に至るわけである。
ナルトの重たい方の荷物をカカシが持ち、カカシに強制的に手を掴まれたナルトが軽い方の荷物を持つという、まるで一緒に買い物に来たカップルのような状態なのだが、ナルトが気付くはずもなく、そこそこ身の丈のある大人と若干肩を落とした金髪の少年が見た目にはのほほんと(少なくとも銀髪の片方は)歩道を歩く。
「カカシ先生ってばオーボーだってばよ」
「あはは、おまえそれちゃんと漢字で言ってる?」
「うっせってば」
ぶん!と荷物を振って、拗ねたナルトがカカシの手を離れる。そのまま、歩道と道路の境目をヤジロベイのようにバランスをとって歩くと、横のカカシがうーんとのんびり首を捻った。
「あー、ナルト。おまえはこっち」
「???」
道路の近くから歩道の方に、猫の子よろしくTシャツの襟を掴まれ、そのままさり気なく位置交代。車道側のカカシが「ん?」と首をかしげ、歩道側に移されたナルトは、「え?」と「へ?」の間の顔のまま固まっている。その顔は明らかに説明を求めて訝しそうだったので、カカシはくくくと笑みを零し、
「…ま、一応ね。おまえ、危なっかしいから」
オレが防波堤ね、とナルトの頭に手が乗っかる。
――うわ、っと思うと同時にワントーン高くなった鼓動。自分より頭一つ分ほど背の高い銀髪の男の顔を見上げれば、にっこりと微笑まれる。そして、そのまま何事もなかったように、自分の手を引いて隣を歩く人物に、何も積極的に車に轢かれてくれなくてもいいってばよ!!と捻くれた考えが思い浮かんだが、真っ赤になった頬を誤魔化すことは出来ない。
オレってさっきからずっと歩道側歩かされていた?とか、何だか気が付いたら恥ずかしいような事実を、自分の頭の中の記憶のビデオテープをぐるぐる巻き戻して再生して、思わずよろけそうになる。
「あのさぁ…、ちょっと言い難いんだけど」
「なあに?」
引っ張られはしていたものの、長い足を持つカカシの歩調は今はナルトの歩調、ナルトの歩くペース。つまり、今彼はナルトに合わせて歩いてくれているわけで、そんなことを気付かないくらいさり気なくやられていたわけで、なんていうかもう要約すれば。
「カカシ先生ってよく〝誑し〟だっていわれねぇ?」
「なんで?」
「こーいうこと女の人にやったらイチコロだってばよ」
「そーでもないでしょ。ふつーよ、ふつー」
「そんなことねー、この世知辛い世の中ではキチョーな男だってばよ」
「…世知辛いっておまえねぇ。しかもおまえも男でしょーよ」
「だってさ、だってさぁオレが女の人だったらぜってぇときめくってばよー」
「なんで女の気持ちになってんの、おまえ。面白いね。ま、ときめいてくれたんなら嬉しいけど?」
「なんだってばそれ」
「いやー、もう一回言う?オレは物凄く嬉しいけどね?」
「カカシ先生ってば変なの!」
「や、本気なんだけど?」
「冗談ばっかりだってばよ、カカシ先生は」
カカシの攻撃を100%無意識でかわし、あははと腹を抱えて笑うナルトにカカシはあのねぇと何か言いたそうに見つめる。ナルトといえばそんなカカシを気付きもせずに、知らなかった、この人は誑し男なのだとうんうんと頷く。
「あー、カカシ先生は悪い男だってばよ。きっとそうやって誰にでも優しくして女の人泣かせてんだろー」
「何、それ。オレ、本命は大切にするタイプよ。それはもう下には置かない扱いデス。尽し捲ります」
「ふうん、そーなんだってば?意外だってばよー?」
「おまえねぇ…、オレの中でおまえはどんな男なのよ。これだけアピールしといてそれはないでしょ」
「何がだってば?」
きょとんとしたナルトをカカシは不覚にも可愛いなんて末期的なことを思ってしまい、自分を叱咤しつつ色んな言葉を考えあぐねたあげく、ピカピカ笑顔の少年を前にガックりと肩を落とした。
「…おまえさー、よく天然だって言われない?」
「あ、それシカマルって友だちに言われたことあるってばよ」
元気良く答えたナルトに、海より深いため息が出そうになったカカシである。
だがしかし、カカシの隣で笑うナルトは自分自身の変化に気付いてはいなかったが、彼の笑顔はもう接客用のそれではなくて、陽だまりのように柔らかい笑みに変っていた。それだけでもカカシのここ数ヶ月の楽しい苦労は報われたというものである。
カカシは仔犬のように自分の横をちょこちょこ歩くナルトを見下ろしつつ、目尻を下げる。すると、碧球の瞳が恥ずかしそうに伏せられた。
「でもさ、でもさ」
「…なあに?」
「オレ、カカシ先生がこうして並んで歩いてるとさ。すげぇ不思議な気分になるの」
「え?」
くいくいとナルトがカカシの服の袖を引く。その瞳がカカシにはいつもより潤んでいるように見えて、カカシの鼓動がひとつ跳ねる。
「……それってどういうこと、ナルト?教えて?」
「うーんとな、上手く説明できねぇんだけど」
「うん」
「なんか親子みてぇ」
「………」
「カカシ先生って〝お父さん〟みたいだってばね!」
ひゅるりーと何かとてつもなく微妙な風がカカシとナルトの間に吹いた。
「あ、あれ。カカシ先生、どうしたんだってば…!?」
オレ、もう立ち直れないかもと思いつつ、カカシは声を絞り出す。
「……ナルト、あのねぇオレはこう見えてもまだ若いんだけど?」
「知ってるってばよ。ええと、ヤマト隊長から聞いたってば、29歳だろ?」
「せめてそこはお父さんじゃなく、お兄ちゃんでしょーよ。あとお父さんは勘弁して。色々その、気まずいから」
「あはは?そうだってばね。でもさ、なんかさなんか。カカシ先生といるとほっとするっていうか、妙に居心地がいいっていうか。あ、でも時々ちょっと落ち着かなくなる時があるんだけどさぁ」
「え、落ち着かなくなるの?」
「ふぇ。うん、ちょっとだってばよ?」
「そっか…?」
思い切って柔らかそうな金色の髪の毛をくしゃくしゃと撫でてやれば、きゅうと碧い眼が心地良さそうに細くなる。ねぇ、今はどんな気持ち?ちょっとは、意識してくれてるんでしょ?思わないでもなかったが、今日は嬉しい収穫があったので良しとする。
「カカシ先生。ここまででいいってばよ、サンキュってば!」
木造二階建ての家賃が安いだけが取り柄のアパートの前でナルトが、少しだけ照れ臭そうに言うと、「そう」とカカシが短く笑う。ぽふ、と大きな手にぐりぐりとされて「重たいってばよ」と笑うナルトに「気分、だいぶ良くなったみたいだね?」とカカシが言って、ナルトが「え」と固まる。
「おまえ、スーパーで最初に会った時、酷い顔色だったよ。気付いてなかったの?」
「……あ」
「さっきより元気になったみたいだけど、オレは心配だよ?お節介かもしれないけど、普通に心配。おまえがね、笑ってないと」
くい、手の先を握られて、そういえばあれだけ色んな話をして、ここ数ヶ月間で仲良くなったけれど、カカシからナルトに触れられることは今日が初めてだったのではないかということに気が付く。
妙に強引だった態度も、オレのこと、心配してくれてたから?
…カカシ先生の方こそ、変なところ遠慮するってばよ。苦笑いが込み上げて来て、それと一緒に心臓がきゅうと切なくなる。
言ったほうがいいのだろうか、相談してもいいのだろうか?頼っても?この人の傍はあたたかい気がする。守られていると、はっきりと感じる何かがあって、どれだけ「助けて」と言えたら良かっただろう。
だけど迷惑はやっぱり掛けれなくて、カカシが優しいから、だから余計に自分のことなんかでは煩わせたくないと思ってしまう。
「オレってば、へーき!さっきはちょっと外が暑すぎてヘバってたんだってばよ」
満面の笑顔でへへへと笑って、それと反比例するようにカカシの顔が曇る。
「オレはおまえのそういう負けん気の強いとこ、嫌いじゃないよ?でも、強がりしすぎないで?ギリギリになる前にオレでも他の人間でも誰でもいいから頼ってよ」
もちろんオレ以外の奴に頼ってなど欲しくないけど、と心の中でだけこっそり付け足して、ニシシと笑う少年の柔らかい髪の毛を名残惜しげに掻き回す。
「おまえの頭、触り心地いいね~、これからはガンガン触っちゃおうかな」
「んだってばよそれー。もー、オレってば髪型ぐちゃぐちゃじゃん。カカシ先生ってば頭くしゃくしゃするの禁止―っ」
「えー、それは酷いなぁ」
そう言いつつも、ナルトは擽ったそうにカカシに頭を撫でられている。やっとの思いで警戒心の強い小動物を手懐けた気分である。もちろん、まだ近寄って来てくれるだけではあるが、カカシにしてみれば多大な前進である。
だけど、そんな二人を遠くから執拗に見つめていた視線があることに、二人はまだ気付かずにいた。その視線は彼等がアパートの前に到着した直後から、食い入るようにナルトと、そしてその隣にいるカカシを映していて、カカシに頭を撫でられて、はにかんだ笑みを見せるナルトから縫い止められたように視線を離そうとしなかった。
おまけ
そしてカカシと別れ家の鍵を開けようとした瞬間、
「あーっ。結局カカシ先生ってなんの職業だったんだってば!?」
上手くはぐらかされたことに気が付いて、これだから押し込み式の脳みそだとヤマト隊長にバカにされるのだとナルトはガックリと項垂れた。
よくある感じの一人暮らしの男の子の部屋。
Knock、Knockからうずまきくんの部屋にご案内。
「眩し…・…」
休日の朝。朝日の眩しい、東向きの部屋で、寝相の悪い少年が起床した。一人暮らしを初めてもうすぐ3ヶ月になるアパートの一室。
ヒヨコ頭の少年は午後も過ぎた時分に、もそもそと平べったい敷き布団から起き上がった。起床時間としてはやや不健康な時間帯と言えたが、彼がバイトから帰って来た時間を考慮すれば致し方ない事と言えた。外は雲一つない晴天。そんなある夏の日。
「そろそろカーテン買いたいってばよ…」
目をコシコシ擦りながら、頭の中の買いたい物リストに遮光カーテンを入れる。でも高そうだってばよーと思いつつ、ぺとぺと床を歩いて洗面所へ。
あちこち縦横無尽に跳ねたくせっ毛はもう諦めるとして、適当に顔を洗って歯を磨く。時計を見ると、世間一般で言えば朝ご飯とお昼ご飯の二食を食いっぱぐれた状態で、ナルトは自分の引っ込んだ腹に手を当てる。
「お腹空いたってば……」
しゅんと俯いて、冷蔵庫に足を向け、一人暮らしサイズの真四角の箱の前にしゃがみ込む。ぱかんと扉を開けて、心地良い冷気に目を細めたナルトだが、冷蔵庫の中の現状を把握して、「あー……」とだらしなく口を開けた。ぴょこぴょこと跳ねた金髪を掻きながら、空っぽの冷蔵庫の中身を見るが、されどそれで食べ物が出てくるわけがない。
「しくったってば…」
テーブルを振り返れば、昨夜、店長から「これもうロス(賞味期限切れ)したからうずまきくんが持って帰っていいよ」と渡された晩飯代わりのイタリアン風のスパゲッティ。しまった分量を考えて残しておけば良かったかなと思ったがもう遅い。買い置きのカップラーメンもない。ついでに言えば食料品はおろか調味料も色々足りていない。人間、水だけで暮らすわけにもいかず、
「さすがに買い物しなきゃ駄目だってば…」
ぱたんと冷蔵庫の閉まる音と共に、最近めっきり増えた独り言を呟いた。しんと静まる室内に、ブブブブ…と冷蔵庫の稼働音が響く。それがやけに耳に付く狭い部屋。慣れた事とはいえ、物寂しさを感じてしまうのは己の甘えのせいか。久しく忘れていた、否、忘れようとしていた感情が湧き上がりそうになって、
「や、ヘコんでてもしかたねーし」
ついでに腹も膨れねぇと、スーパーに買い出しに行くことを本日の予定に入れ、ナルトは洗いざらしのTシャツとジーンズという出立ちで履き潰したスニーカーを引っ掛けた。
「あっつ。サイアクだってば…」
カン、カン、カン、とやたら煩く反響する錆びて古くなった階段を下りると外は見事な炎天下。道すがら携帯の待ち受け画面をぼんやり眺め、つい最近の事を何となく思い出した。
「ナルトー。最近、疲れてる?」
「え…?」
「ちょっと、痩せたデショ。顔色も悪いし、ちゃんと食ってる?」
「あはは、カカシ先生に言われたくないってばよ。でも、ちょっと最近シフト詰め気味だからそれのせいかもしれねぇ」
ナルトはカカシの買った物を袋に詰めながら苦笑する。いつものインスタントコーヒーの袋と、1日の栄養を1箱で摂取出来るが売り文句の固形食品。これだけで腹が膨れるとは思えない買い物リストで、もっと言えば育ち盛り食い盛りのナルトとしては信じられない食料摂取量だ。もちろん、食料品を売っている場所は何もここだけではないので他の所で買っているのかもしれないけれど。
「オレのことは気にしなーい」
「気になるでしょ~ってばよ?」
「なにそれオレの真似?」
「シシシ。なかなか似てるってば?」
「赤点」
「辛口採点だってばよー」
ニシシとナルトが笑うと、つられてカカシも苦笑する。
「ま、生活が懸かってるのはわかるけどあんまり無理するなよ?」
「サンキュってば、カカシ先生!」
元気良く挨拶したナルトだが、カカシに商品を渡す際に若干身体がグラついて、カカシの眉根が寄る。
「な、なんでもないってばよ。これくらい!」
「ナルトさ、なにか隠してる?」
「な、なにがだってば?」
「…何か悩み事があったらいつでも相談しろよ。オレで良かったら何でも聞くから」
「大袈裟だってばよ、カカシ先生」
「おまえ、ギリギリまで抱え込む性質だろ。ほら、はいってお返事は?」
「ええと…」
銀髪の男と金髪の少年のいまいち熱意とテンションのズレた、そんなコンビニでの会話。
「はぁ…」
数日前の会話を思い出して、思わずため息が出た。人と、関わり合いになることは嫌いではない。だから、コンビニのバイトも好きだ。客と何気なく交じわす挨拶や、レジ操作の合い間の他愛のない世間話。二、三言の中から漏れるその人の日常。まるで、友人のように会話して、だけどあからさまに馴れ馴れしくするわけではない。けして、踏み込みすぎない関係。自分は、そうした微妙な距離の取り方がいいなあと思う。
しかし、はたけカカシという男は、そのボーダーラインを易々と超えて入り込んでくる。自分のペースに巻き込むのが上手いというか、強引だというか。そのくせまったく嫌味でないのが不思議だった。
「あちぃ……」
じわりと、汗が滲んだ。ミンミンとセミの五月蝿いくらいの鳴き声。目を落としたままの携帯には、数件の着信メッセージが入っていた。
伝言を再生すると無言が続き、しかし微かに漏れてくるノイズを拾えば、聞きなれない男の荒い息遣いと呼吸音。それが全件に渡って続いて、ナルトは全て聞き終わると、しばらく待ち受け画面を眺め、ジーンズのポケットにしまう。平素通り着信拒否にしたが焼け石に水だろう。頬に伝う汗を拭うと逃げ水の揺らめくアスファルトの道路をのろのろと歩いてナルトは空を振り仰ぐ。
「相談……、したほうがいいのかなぁ」
いつでも相談に乗るよ、と言った彼の笑顔が思い浮かんで、だけどいざとなると二の足を踏んでしまう自分がいた。
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職業 ノラ
趣味 散歩・ゴミ箱漁り
餌 カカナル
夢 集団行動
唄 椎名林檎
性質 人間未満
日記 猫日和
ある日、カカナルという名のブラックホールに迷いこむ。困ったことに抜け出せそうにない。